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吉沢正巳インタビュー

2012/05/20 20:33
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フクシマの人は何故怒らないのか

2012/05/17 03:27
素朴な疑問なんだが
フクシマの人は怒り方を知らないのかな
フクシマは気候、風土が穏やかで県民性がおっとりしているのだろうか
悲しみに心折れ、我慢し、諦めているのだろうか
日がたてば経つほど忘れられてしまい、差別の水脈だけが目に見えない形で残っていくだろうと思う。

福一事故直後の3月18日に東電を皮切りに、丸の内署に街頭演説の許可を貰いに行き、官邸に直接行動した吉沢さんや、
去年5月に、文科省に直接交渉をしていた佐藤さん達の他に目立った直接行動をした人達を知らない。
経産省前テントに泊り込んだのも最初はフクシマ以外の人だし。

到底満足のいかない補償金や見舞金をあてにして、農作物を作るようなプライドが傷つくようなことをしたり、被曝した牛や豚の、殺処分を強いられたり

牛や豚は彼等から見たら、放射性瓦礫と同じで目障りだから殺すのだ
無かったことにしたいのだ
豚は飼い主の敷地で殺され、その敷地に埋めなければならない
死体が累々と並んでいる写真を観たが、それは(自主?)規制されてマスコミに載る事は無い
津波で亡くなった方々の遺体写真が日本のマスコミに載らなかったのと同様
事実を隠蔽するのだ
しかし、過酷な事実と向き合わねばばならなかった農家の方々は、よくも気が狂わずに居られたと思う

手に乗るような子豚まで殺すことにどういう意味があるか
日本政府はフクシマの子供や妊婦も同じように見ているのだとしか思えない
殺すわけではないが、見捨てている
つまり、棄民。

補償金なんて、貰うんじゃなくて奪わなければ騙されるだけと思う
仲介者なんかあてにしてはいけないと思う
何らかの利権と繋がっているかもしれないんだから

当事者がどうしておとなしいのかさっぱり分からないが
こういうことかもしれない
  ↓

安岡章太郎が言っていた
『そりゃ、どこの国でも支配者は暴力がありますよ。だけど、どうも日本のは非常に繊細かつ強力な暴力が働くような気がする。

そういう抽象的な言い方でしか言えないけれどね。
 だから、日本の法治のやり方は、少数者にとってはきついでしょうね。
そりゃ、アメリカにだってマイノリティー・グループはいっぱいあるわけで、もちろん、きついんだけど、日本の場合特別じゃないかな。
一種独特の芸の細かさと、それから梅雨時の大雨的な暴力の強さがありますよね。』(日本人を考えるー宮本常一、安岡章太郎、野間宏「逃げ場のない差別のひだ」から)』

拙ブログ「官僚が画策する国家の分断」から
http://71816687.at.webry.info/201110/article_6.html
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なぜ離れられないのか

2012/05/15 07:25
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フクシマからなぜ移動できないのか
土地、家等の財産が手放せないからかな
親しんでいた人や想い出も財産のうちかもしれない

でも、こうも考える
もし、仕事があったら、よその土地で食っていける条件があれば
そんなに躊躇せず移動するんじゃないだろうか

私は東京で職が無くてどうしようかと思っていた時に
豪雪過疎地帯での仕事に誘われた
想像したこともないような土地での生活に
不安を抱くゆとりも無くとんだ

田舎の生活は珍しいことばかりでおもしろかった
田舎の人達の暮らしぶりや考え方は新鮮だった
田舎の村での暮らしは、都会では想像もつかないようないろんな縛りがあるんだなあと思った

ストレス解消は車でその辺をほっつき回ることで解消した
自然は恐いこともあるけど、どういうわけか魂を癒す効果もあると初めて知った

日本史や鳥や獣や植物などなど、人間以外の生き物に以前より興味を持つようになった
人の暮らしとその歴史にも、とても興味が湧くようになった

しかーし、田舎に定住するのは結構難しいらしい
だいいち、住む家を自力で見つけるのは、想像以上に大変だ
それと、田舎では簡単に仕事が見つからない
人脈や口コミで仕事にありつくのが、よそものには困難だからだ

言っとくけど、素敵な古民家を見つけても、住めるようにするには
結構なお金が要るんだよ

写真の家はメンテナンスもよくて、畑も付いて1万5千円/月で貸してくれるというんで大喜びしたんだがア
家主さんは兵庫県に住んでいて、帰って奥さんに話したら
大反対されて、「売るならいい」というの
んで、いくらでと聞くと「450万」だって。
どう見ても、上限300万の家
こうなのよー、田舎って。
地元の人や身内には妥当な値段で売るけど、よそ者にはねえ
なんだろねーって思っちゃう
過疎地に人を呼べないのは、こういうこともあるよね。

この家の近くのでかい家を買った夫婦
一千万以上吹っかけられて700万まで値切ったけど
見に行ったら屋根がかなり壊れてた
その屋根の修理代はン百万だぜ
よそ者が知らずに買う恐さ





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フクシマの人達は税金を払うことはない、と思った

2012/03/10 02:36
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宮本常一の『山に生きる人びと』を読みながら、ふと閃いてしまったのだ。
今、読んでるとこは落人伝説を、歩いて検証してるところ。
人が足を踏み入れない山の中で暮らしを立てている人達や、漂流しながら山の中を移動している人達は、年貢を納めたり、懲役をしなかった。
戸籍を作ったのは、税金を取るためだったのね、と気がついたから。

フクシマの人達は、国から見捨てられたのだから、税金を払う必要もないと思う

人口が減って困る知事は必死になって、呼び戻す汚い算段を仕掛けているが
昔から、日本だけじゃなくどこの国でも栄えたり滅んだりした地域はある
いつまでも、続くもんじゃあないんだ

それに、人びとはあっち行ったり、こっち行ったり、定住したり漂流したりして
生きてきてるんだし

TVで『さかのぼり日本史』や『歴史秘話』を観てふと思ったことなんだけど
天皇制がなぜ脈々と続いてきたのかって事
武士は、貴族が持っていた文化に、コンプレックスを持ってたからかなって
なんでも、天皇の承認をもらっていたでしょ
朝廷の持つ文化の高さ、厚みには勝てないと思っていたからではないだろか
民を支配するのに「ちから」だけじゃあ、うまくできないって分かっていたから?

湖北に行って、「関東はホント田舎だあ、関西の文化の深さ、厚みには負けるー」と思った。
新幹線で東京に近づくと、自分は田舎もんだったーって感覚がすごくしてくるのと似てるかな

しかし、近年の皇室から芸術家って出てこないね
学者ばっかし

もう一冊、宮本常一の本を平行して読んでいる
こっちは『日本人の住まい 生きる場のかたちとその変遷』
これを読んでいると、野瀬の大きな家々の家並みが続く部落の景色が目に浮かぶ

明治、大正、昭和になっても土間住まいはそれほど珍しくもなかったのだ
先日、TVで石牟礼道子さんの出た番組を観ていたら
胎児性水俣病になった子供の昔の映像が映し出されていたけど
その家は、床張りだったけど、その上にゴザを敷いた部屋だった
なので、もっと昔は土間にゴザや藁を敷いていたのかもしれないと思った

『わすれられた日本人』は、買ったけどまだ読んでない

フクシマの人達がなぜその地から逃げ出さないのか、なぜ怒らないのか、の疑問から再読してる宮本常一だけど、本当に面白い

十代の頃に読んだときと、全然面白さの度合いが違う
年をとると、こういう風に面白くなることもあるんだな

キヨシローが生前「大人になると面白いぜ。やりたいことが、沢山できるから」って言ってたけどさ

「忘れられた日本人」     松岡正剛の「千夜千冊」より
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0239.html
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映画『病気は回復過程である』を観に行った

2012/02/26 19:28
http://www.unpro.jp/index.html

岩波映画出身の今泉文子監督が、40代の頃に取材で出会った看護師が座右の書として持っていたナイチンゲールのnotes on nursing(看護覚書)に感動して以来暖めていたテーマを生誕100年をきっかけに映画化したもの。

去年、このニュースを知ってから観たいなあと思っていた。
ナイチンゲールはクリミア戦争に従軍看護婦として参加したことくらいしか知られていないけど、現場に居たのは2年くらいで、その後10年くらいはうつ病みたいになって寝たり起きたりの生活をしてたんだ。(看護師に多い「燃え尽き症候群」か?)

クリミア戦争の現場はそうとう過酷だったようで、イギリスに帰国した当初の写真を見ると、髪が薄くなり痩せてやつれているしかし、その10年の間に沢山の本を書いた。

元々、裕福な家に生まれ、高等な教育を受けた人。
能力は相当高く、当時盛んになってきた統計学者や数学者の支援を仰いで、クリミア戦争の戦死者が怪我で死んだ人よりも、劣悪な病棟で主に感染症で死んだことを統計学的に明らかにした。
そして、数々の提言をして、行政を動かした、有能な行政官でもあったのだ。
当時のロンドンはそうとう汚いとこだったらしく、テムズ川があんまり臭くて議会がお休みになったこともあったそう。

notes on nursingは、EBN(evidense baset nursing)だ。たしかに。
この、まったく隙の無い理論に辟易し、また19世紀的感性にうんざりしたのもあって授業で仕方なく読んだきりだった。(教授はナイチンゲールの研究家で熱い講義だったが・・)
監督もこの理論を看護学生や若い看護師に理解しろと言っても無理ですと、言っていた。

翻訳者に「科学的看護論」(唯物史観に基づいた看護理論)の著者、薄井担子氏が入っている理由がよく分かる。
しかし「科学的看護論」に基づいて看護をするってのは、日本の過酷な滅私奉公主義の看護労働の現場では、看護師を潰す道具になりかねないって思う。

だけども、数年前からまた、興味が湧いてきた。
野口整体とも通じるものがあったからだ。

監督は製薬会社の重役に直談判して300万を引き出し
川島みどりさんたちの協力もあって、1500万の資金で映画を撮りはじめた。

ナレーションは林望
朗読 加賀美幸子
料理研究家の辰巳芳子さん、川島みどりさん、福井次矢氏(聖路加の院長)などが出演。

製薬会社の人も加賀美さんも「これは、組織論だ」と言ったそう。
そうかも、特に小管理の章なんかは。

私は母の看護を「看護覚書」を意識しながらしたわけじゃ無いけど
振り返ってみると、ちゃんとそのようにやっていたんだなあと、自己満足した。

監督の出身地は福島で、92歳になる叔父さんが、浪江町に住んでいたという。
津波は自宅の前まで来たが水没することは無かった。
しかし、原発事故により、福島県をあちこち漂流し、今は猪苗代湖の民宿に落ち着いているという。
その叔父さんが「こんなとこで死にたくない。うちで死にたい」と言ったそう。

監督はこれを福島弁で言った。そして、涙ぐんでいた。
会場の人達も涙ぐんでいた人多数。

この映画のおまけに監督が「もう一本、10分くらいの短編を見てください」と言って
311後の三春に行って撮った滝桜の映画を見せてくれた。
樹齢千年以上といわれる満開の滝桜は圧巻だった。
この桜は千年前の津波と地震を見たんだろうか
その生命力にただ圧倒される

Fukushima miharu takizakura updated


ナイチンゲール名言集←けっこう面白い
http://matome.naver.jp/odai/2127112127739273601

ウィキ
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB&oldid=41257318





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脱原発杉並デモ

2012/02/21 01:11
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UZO MUZOデモは面白かった
早めに帰りたかったので、比較的前のほうの隊列のドラム隊の後ろに付いた。
後ろはカラオケ隊。


その前に蚕糸の森公園で、「希望の牧場」のチラシ配りのお手伝い。
私が配ったチラシはあっという間に捌けてしまった。

「希望の牧場」東京事務所のおとなしい若い男性ふたりが手伝っていた。
前日の、渋谷に来てた四人の女性ボランティアはしっかりした感じの人達だったが、今日は吉沢さんも含めてなんだか三人ともおとなしい。

公園正面入り口付近に、パネルと幟を立てて吉沢さんが立つと、何人かの人が直接話をしに寄ってきていた。

隊列が出発し始めたが、吉沢さんたちはデモに入らないとのことなので、私はそのままデモへ。

終結地点近くの阿佐ヶ谷駅前の中杉通りに来たら、希望の牧場のミニバンが停まって、吉沢さんがアピールしていた。
なので、また隊列を離れてチラシを配った。
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 立ち止まって、話を聞いたり、写真を撮っていく人や握手していく人が居た。
その一人にNHKの 「ブラタモリ」に出てくる女性アナウンサーそっくりのかわいい人が居た。

デモは面白かったけど、私は何か心の中に鉛のような重さを抱えて帰宅した。
なぜか。

数日前に、福島第一原発の正門前付近で、原発作業員を乗せたバスが、親子連れの牛をはねてしまい、親牛は死に、残された子牛が座り込んでいた。
最近、現地では牛と車の事故が増えているそうだ。

Twitterで『ハッピー』さんというハンドルネームでツイートしている原発作業員方が、
毎日バスの中から牛の親子のことを見ていて何とかできないかと思っていたところ、
フォロワーから希望の牧場のことを知らされて連絡をとり、子牛は希望の牧場に保護された。

前日、渋谷で吉沢さんに会った時、子牛のことを聞いたら「獣医さんに見てもらったら、腰を痛めていると言われた」と言う。
ああ、脊椎損傷かあ。なんと。
傍に居たボランティアの女性も「寝たきりだ」「じょくそうができる」と言っていた。
私が「よく、脊椎損傷の犬や猫が車椅子を使っているけど、ああいうのはどうかなあ」と言ったら、その女性が「体重が重いからだめよー」と言った。

その日、うちに帰ってからもそのことを考えていた。
そして、翌日のUZO MUZOデモに参加して、ルンルンしていたが、阿佐ヶ谷駅前で吉沢さんの悲痛なアピールを聞き、話を聞きに来た女性たちに「命と向き合い、命って何だと考えざるを得なかった」と話しているのを横で聞いていて、「この人は、なんて重いものを背負ってしまったんだ」と思った。

放射能を浴び、瓦礫と同じで目障りなものと見られ、殺処分の通告を受けている牛や豚を保護し、生かしていくということの意味を彼はずっと模索している。
命の意味と、瓦礫同様の扱いを受けている命を助け続けることの意味だ。

ペットレスキューの方たちが希望の牧場と連携しているのも彼の行動に共感しているからだろう。
東京事務所での集会には、いきのいいペットレスキューの女性たちが来ていた。

 18歳くらいのときにシモーヌ・ヴェイユの「労働と人生についての省察」って本を読んだんだけど、その本は彼女が工場労働者として働きクタクタのボロキレのようになって書いた日記が大部分。
工場で作るネジが何本オシャカになったかなんて記述が延々と書いてある。
その中で、彼女の教え子だった女生徒に宛てた手紙があって、あなたは困難な方へといってしまう性格と書いていた。

吉沢さんも、その女生徒と同じようだと思った。
自ら困難な方へ身を投じてしまう人。
(スペイン戦争に参加して、おなべをひっくり返して火傷しちゃうシモーヌ・ヴェイユもそんな人だと思うけど)

でも、私の友人でクリスチャンの女性が、以前私に「神様はその人が負えないほどの重荷は負わせない」と言っていたことがあるから、吉沢さんも潰れたりすることは無いのかもしれない。

しかし、支援するといっても放射線量の高い浪江町に行って、ボランティアする気にもなれない、殆どの人がそう考えるだろう。

渋谷で会った男性で、長野から来ているという人は希望の牧場で一緒にやっているといっていたが、ホームページを見る限りでは基本的に吉沢さん一人でやっているらしい。

うちのにゃんこのかかりつけ医に、保護された「ふくちゃん」の、なにかいい治療法がないか聞いてみよう。
獣医大では、基本的に牛なんかの勉強して、試験も牛のことが出るらしいから。
 獣医大の試験で、牛のどちら側に立って診察するかってのもあったって聞いたことがある。
吉沢さんは牛飼いだし、お産にも立ち会うくらいだから、点滴したり注射したり位は出来るだろう。
人間の医者だって、産科の医者は救急治療全般が出来るから、災害時には役に立つんだぜ。

「希望の牧場〜ふくしま〜」
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/

今日、帰宅してtwitterをみたら、吉沢さんの姿を見、アピールを聞いた方たちが、感想をつぶやきRTしていたので、ずいぶん気力が出た。

吉沢さんのアピールはUZO MUZOの中では、野暮ったい感じで移り行く時代感覚の中で取り残されそうな印象だったけど、心に留まる質のものだったんだなあと、あらためて思った。

そんな中の一人。フリーランスのフォトジャーナリスト山本 宗補氏のブログです
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/part2-8bbf.html

昨日の夜、NHKのドキュメンタリーでオオカミ信仰のことをやっていた。
三峰神社とはニホンオオカミを祭る神社だったと、初めて知った。
宮司さんが、毎月ご飯の入ったお櫃を背負って、鎖場のある急な山道を転びながら行く。
静かに語る言葉がとても重かった。
自然を畏怖する気持ち。身体が続く限りご飯をお供えするんだと言う。
自然界の報道写真家、宮崎学氏も「地球が大家さん、人間は店子」といつも言っている。
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湖北と東京の違い

2012/02/18 18:23
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鳥見の大先輩がくれた手彫りブローチ。桜の木。トラフズク!
他にもいろいろ素敵な作品いっぱいで、どれを貰おうか迷った

道を歩くときに、東京だと植え込みの近くや側溝の傍は通らないようにしてる。
湖北では気にせずどこでも歩ける。

湖北では風が強く吹いたって、洗濯物は干せるし

東京ではこの時期、空気が乾燥して、地面の土ぼこりが舞い上がるので、インフルエンザ用マスク。
自転車乗るときはN95マスク
放射能が舞い上がる!

東京では寝る前に脱いだものを、風呂敷に包んで懐中電灯と一緒に枕元に。
それと、緊急避難時用のリュックを寝る前に確認してる
首都直下型地震がいつ来るかわかんないし
湖北だと、そういうことをしないで、すぐ布団に入って寝られる

リュックは、一時避難用と、3日間救援物資が届かなくても過ごせるようにパッキングしたやつと2個用意してる。
もう一つ、普段の外出用も(311のときは外出中に地震に出会ってホトホト苦労したから)

職場にも食料とか避難時に必要なものをロッカーに仕舞ってある。
311のときの教訓で、スタッフは自分の机の引き出しに食料を貯蔵している人が多い
(お腹すいたときにはそれを食べちゃったりしてるけど)

東京からフクシマに行った人が驚くのは、マスクもせずに住民が普通の生活をしてることだそう。
だけど、現地の人に言わせれば、そういう生活に疲れちゃってやってらんないってことらしい。
そうだろうなあ。あの暑い夏を長袖着て、マスクして過ごすこと自体すごいストレスだったと思う。

湖北では、精神的ストレスが東京に居るよりずっと少なかったし、心身ともにのびのびできた気がする。

あとねえ、湖北の別宅は、広い部屋が沢山あって、東京の自宅と違い、物を避けて歩いたり、物につまずくことが一切無い。
なんか、気分がのびのびするんだよね。

キッチン四畳半くらい、居間6畳、書斎6畳、洋服部屋8畳と4畳半。
他に6畳くらいの玄関(土間)、広い押入れ、廊下、床の間、トイレ、お風呂場、庭(車2台は入る。無理すれば3台入るかな)
んで、家賃は1万/月。JRの駅から徒歩5分。

ちなみに東京の自宅は、6畳、4畳半、キッチン3畳、風呂、トイレ、庭付きで家賃10万/月。駐車場2万/月。
私鉄駅から徒歩3分。

リフレッシュする場所があって、よかったなあ
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湖北・山田付近
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渋谷でアピール「希望の牧場〜ふくしま〜」浪江牧場

2012/02/18 17:33
渋谷駅ハチ公前でアピールする
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ボランティア5名(女性4名とホームレス?の男性1名)

「希望の牧場」http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/

ミニバンの横に展示された写真

拘束されたまま餓死した牛達
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餓死した親牛の傍に座る子牛(いちごちゃん。現在は希望の牧場で元気いっぱい)
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お昼を食べに行ってる間に、三方を大日本愛国党の街頭演説の車に囲まれてしまった希望の牧場のミニバン
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大日本(なんかすごいネーミング)愛国党の面々は直立不動で君が代歌ってから、教育勅語(!)を聴いていた。
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冬の湖北で水鳥とオオワシと小鳥を探す会

2012/02/13 17:42
さて、今回の目玉である探鳥会。
もう、なんだか、朝から横殴りの雪で遭難しそう(オーバー)
案内状には『相当の悪天候でも実施します』『防寒対策と足元はしっかりと』とあった。

それでも、外に出るのはちょっと、という感じなので、雪の様子を観ながら、センターの観察室で水鳥やオオワシを見てすごす。
オオヒシクイたちはこの寒いのに元気よく餌摂りをしていた。
オオワシ様は雪に霞んでよく見えず。
でも、6:20頃にはねぐらから出てきたそう。
その時間に山本山の下で、見張ってた人が居るってことがすごい。
今年も各地から、でっかい望遠鏡を持って、ヤドカリみたいな装備の車でやってきている人多数。

雪が止んで日が差してきたところで、外へ
カモメの足がピンクか黄色かを確かめようとしたが、よく分からず。
スズガモ、カイツブリ、カンムリカイツブリ、キンクロハジロ、ミコアイサなんかがいる。

と、オオワシ様が山本山から湖に飛んできて、オオバンをとって枯れ草のある洲の上で食べた。
どうも、他の猛禽が捕ったのを横取りしたようだ。
昨日は不猟だったからお腹すいてただろうな。ガツガツガツガツ食べていた。
オオワシ様が近くで飛ぶところを初見。
しかも捕った餌を食べるところまで観られて大満足。
来た甲斐あったなあ。
チョウゲンボウも初めてなのに3回も見れたし。

晴れてるとこんなにいい感じ
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 しかもー、山本山の麓を歩いているときに、後ろからオオワシ様が湖からご帰還の場面に出会い、またまた感激!
オオワシは他の鳥に比べてとてもゆっくり羽ばたくんだなあと、眺めていた。
やっぱり、鳥の王者の風格。
2キロ先が見えると言うからすごいなあ。
吹雪の中でも悠然と木に止まっているし。
まあだ、昼前だからもう一回くらい飛ぶかなあと午後もセンターから時々観察。

午前の部からの帰り。雪がレンズに張り付いてしまった。
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 午後は湖岸や川沿いに小鳥探し
しかーし、今期は小鳥が居ないと誰もが言っていた。
それでもベニマシコ、ツグミ、ジョウビタキ、ムクドリ、アオジ、ハマシギその他がちょっとづつ居た。
平地でも雪の中を歩くのは、階段を登っているみたいで、もう歩くだけで精一杯。
小鳥探す余裕がなくなったので、途中でみなさんと別れてリタイアし、野鳥センターへ戻った。

と、ぼーっと山本山をみていたら、オオワシ様がまた移動。
で、姿が見えなくなってしまったと思ったら、山からこちらへ一直線に飛んでくる大きな鳥が!
「オオワシやー。こっち来るー!」ってなわけで、北側の観察室に居た人達がドタドタと南側の観察室に大挙移動。

センターの屋根を越えて湖の沖のテトラポッドの方に。
その辺りのカモたちがいっせいにバタバタと舞い上がり、右へ行ったり、左へ行ったりして必死に逃げる。
オオワシも右へ追ったり、左へ追ったり水面すれすれに飛んだりしての狩。
んで、トモエガモをゲット。
これも、チュウヒの狩ったのを横取り(かわいそうなチュウヒ・・・)
今期は横取りが多いなあ。しかも山本山に持ち帰らずに湖で食べちゃう。

テトラポッドでお食事中を望遠鏡でゆっくりと観察。
望遠鏡にデジカメをひっつけて証拠写真撮った。
今回は割りとさっさと食べてヒョイと隣のテトラポッドに移ってしまい、食べかけのトモエガモは水の中に落としちゃった。
そばに張り付いていたカラスにはお気の毒

証拠写真
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時間も時間だし、オオワシ様はこのままねぐらへお帰りだろうと、野鳥センターを後にした私ですが・・・・
なんと、この続きがあったことを翌日知りました。
とりあゆさんのブログです
http://blogs.yahoo.co.jp/sweetfish_bird/61404973.html
で、ねぐらへのご帰還は17:45だったそう
なに考えてんだかあ、オオワシ様

コホッピー氏の湖北便りには今日のオオワシ劇場の写真があります
http://blog.ko-blog.jp/kohoppi/kiji/62621.html
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湖北に来たよ!

2012/02/13 17:30
今冬の湖北は例年にない大雪なので、車を走らせることできるだろうか、
第一家の中に入れるのだろうかと心配しながら行った。

幸い幹線道路はすっかり乾いており、住宅街の狭い道も融雪で水をジャージャー流しているから楽に走れた。
しかし、うちの庭は除雪してないので、車を入れることが出来ず。
ロングブーツがすっぽり埋まってしまう位の雪が溜まっていた。

高月に着いてうちにも寄らず、即行で野鳥センターへ

★オオワシ様
土曜日はオオワシ様が比較的低いところに止まっておられたので肉眼でも見えた。
時間も時間なので、そろそろねぐらに入るかなあと思って観ていたけど、
思わせぶりなそぶりばっかり。
横殴りの雪が降ってきたので、寒さに耐えられず退散した。

★コハクチョウ
 湖の水の嵩が増えているし(南のほうで工事をしているから、水の排出を沢山出来ないらし  い)、田んぼや畑が一面雪に覆われているので、餌場が少なく、センター前には全然 居な  かった。 
 早崎のビオトープに行っているらしい

★オオヒシクイ等
 センター前には沢山のオオヒシクイ。カモ類もいろいろ。
 が、しかし野鳥図鑑を持ってくるのを忘れて大失敗
 アンチョコなしでは見分けが難しい。
 それでも、 以前よりはカモの見分けがつくようになった。
 神田川や目黒川でよく観察していたからかな

★にゃんこ様方
 キャットシッターから、お留守番レポートが届いているのをマックで確認。
 旅行は度々じゃあないから、マックや新幹線の中(N700系のみ)でネットが見られるのを契 約した。月に500円ちょっと。

 最近、車を手放して、カーシェアリングの会員になった。
 東京では車を持たなくても自転車と公共交通機関で事足りるから。
 なので、こっちでもレンタカーを借りた。
 こちらでは、スタッドレス装着が標準になっている。
 
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『恐るべき子供達』

2012/01/19 01:05
という映画を観てきた。
アンファン・テリブルって言葉の元ってこの映画だったのね
前回観た『オルフェの遺言』のジャン・コクトー原作・脚本

おとろちいエーガだったー!
子供時代というのは、誰もが失いたくない甘美なものなのかな
近代化されてない社会でもそうなんだろうか

姉のエリザベトはまるで子供の弟ポールを失いたくないがためにとんだ嘘を・・・
1949年製作の映画だけど、テーマは古くなさそう
しっかし、中学生の役を立派な身体の男が半ズボン履いて演じるってのも・・・
ま、詩人の書いたお話だからねえ

こないだ観た『オルフェの遺言』も奇妙なゲージツ映画だったけど、テーマはえらく今日的だった
ゲージツ家って、すごいんだなあ

松岡正剛さんの「千夜千冊」読んでコクトーって、想像以上にトンデモな人だと知った
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0912.html


帰りに本屋に寄ったら、店長が「本取っときましたよー」って、ドストエフスキーの『悪霊』第3巻を出してきた。
あんまり待ってたから、それまでの筋を忘れちゃっただよ
しかし、亀山郁夫センセーの待望の訳だから、これからしばらく寝る前の読み物に困ることは無いな
今月から、亀山訳の『地下生活者の手記』の連載が雑誌で始まって、毎月買うのもなあと思ったので、嬉しかった。

他に買った本は「今日の料理」冬野菜特集と「通販生活」也
今日の料理http://www.kyounoryouri.jp/happy_table/tsushin/2012/01/post_8.html
「通販生活」は見るだけ、高いから。買う時はネットか御徒町の多慶屋(たけや)で買う。
多慶屋 http://www.takeya.co.jp/



ATG映画パンフレット 「オルフェの遺言」 監督 ジャン・コクトー
アットワンダー

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オルフェの遺言 -私に何故と問い給うな- [廉価版] / 洋画
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いわきに移住した友達からの手紙

2012/01/09 00:06
いわき市田人町(たびとまち)より
新年のご挨拶を、申し上げます。

ココ

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昨年7月末より、下記の住所にある築百年の古民家を借りて田舎暮らしを始めました。
自給自足にはほど遠い状態ですが、庭と地続きに猫の額ほどの畑があり、そこで季節の野菜をこまごまとつくって楽しんでいます。

田人町は2千人足らずが阿武隈山系の山あいに暮らす小さな村。
部落には昔ながらの共同の行事や作業があり、そこに加わって初めて知ったのは、自分たちの生活は自分たちで守っていくというまっとうな暮らしぶりでした。

部落の各戸には近くの谷川から引いた水を貯水、ろ過・消毒して給水するのですが、谷川に溜まった土砂を除いて石積みで堰を設け取水源を確保、浄水場の管理・清掃はもとより、部落の鎮守様の鳥居が地震で壊れれば、御影石の基礎を鉄筋コンクリートで囲んで固めることも、共同作業で易々とこなしてしまいます。

部落の人たちは生活功者と知恵者の集まりでした。
サービスを買うのを当たり前にしてきた都会生活とは異なる時間の流れのなかで、改めて生活することの意味を考えさせられる異文化体験に魅せられた半年でした。

 一方、3月11日の東日本大震災とそれに続く東電福島第一原子力発電所が起こした未曾有の人災は小康を保っているとはいえ、未だ収束にはほど遠い状態。
それを承知で何故また震災後にわざわざいわき市に、と聞かれるのが常ですが、深い理由があるわけではありません。
震災前から移住を考えていたのがこの土地だったのです。
春には裏の仏具山で山菜摘み、秋にはきのこ狩りが楽しめ、海も近く新しい地魚が容易に手に入りました。
東北地方とはいえ、田人町のある浜通りは気候温暖、東京から常磐高速道を使えば2時間半で着いてしまう距離です。
娘の夫の実家がここにあり、ご両親とわれわれ夫婦は初対面から意気投合。何度か行き来しているうちに老後は田人で、と思い描いていたのでした。

しかし、この夢は震災ではかなくも消えかけていました。

震災直後には、原子炉破壊の影響が首都圏に及ぶ最悪の事態を考え、娘夫婦の住む高知県香美市の山奥に、家族、義母、猫二匹とともに避難したくらいですから、放射能被曝に無頓着だったというわけではありません。

4月11日、震災からちょうどひと月経った日に、田人町周辺を震源とするマグニチュード6の余震がいわき市を襲いました。
3月の震災では、目に見える損傷のなかった親戚の家も屋根瓦が落ち、家中に物が散乱する大きな被害に遭いました。
その修復を手伝いに行ったのが、里心をつけてしまったようです。

春のうららかな陽気のなかに、これまでとちっとも変わらない田人の里山の風景がありました。
日夜を問わず、日に4、5回は訪れる余震に最初は驚いたものの、それに慣れてくると、地鳴りと揺れで、震源地が近いか遠いかまでわかるようにもなりました。
そして、色も臭いもない放射能のことは、不思議なくらい気になりませんでした。
しかし、そのことは逆に、原発事故さえなければ、という思いを余計に募らせることにもなるのです。
罪づくりな話です。

東京に戻って間もなく、小さな2人の子どものいる若夫婦が郷里に帰るので、いま私が住んでいる古民家が空き家になるという知らせが入りました。
じつはこの家は震災前から、空いたら借りたいから知らせてくれるように頼んでいた物件で、躊躇したのは一瞬だけでした。
待望の空き家になった理由が放射能汚染だったのですから何とも皮肉な巡り合わせです。
とはいえ、未来のある若夫婦家族が去った後釜に、定年退職者の私が入るのは理に叶ってはいました。

田人に住むようになった経過の説明が長くなりました。
7月末の引越しから、ほぼ半年が経過。
この間、何をしたかですが、一番多くの時間を費やしたのが、借りている古民家の「住」の整備でした。
いくつかの家具を自作し、冬の寒さへの備えとして、むき出しの梁の間に屋根裏の暗がりがのぞいていた10畳大の土間に天井もつけました。
最後の仕上げは、外回りの廊下と居室を仕切る障子16枚分の張り替え。
これらの作業が一段落するのにほぼ3か月を要しました。
自給自足の範囲を「住」に広げる試みでしたが、古民家を借りたために頓挫してしまった、セルフビルドの家をつくるという遠大な目標に比べれば、ささやかにすぎたと言われてしまいそうです。

掃除・洗濯、日に三度の食事づくりは滞りなく遂行しました。
田舎なので外食する場所が限られているうえに、一番近いコンビニまで9キロという不便さもあり、自分で食べるものは自分で料理する生活がすっかり身につきました。
家事家政はまったく苦になりません。
しかし、そのように雑事をしているうちにあっという間に日は暮れます。
これに育児が加わったりもするのですから、主婦業は考えていたほど楽ではないことがいま頃になってようやくわかりました。ワーク(稼ぎがあって)も一日、シャドウ・ワーク(なくて)も一日――これが実感です。

自由がいかに不自由であるのかも痛感しました。
基本的には一人暮らしなので、一日24時間は全部自分の時間です。
「住」の改善作業に熱中していた間は、次に何をするかを考える必要などまったくなかったのですが、作業が一段落した10月頃から、自分は本当は何をしたいのかという自問が始まりました。

贅沢な悩みと言われればそれまでですが、初めて体験するアイデンティティ・クライシスでした。
もちろんまだ結論などでていません。冬の寒い間はこの問いを反芻しながら、春の訪れを待つことになりそうです。

この自問を招いたのが、退職後1年の助走期間中に学んだ「食」自給のための農の営みがどうなったのか、の顛末です。
小川町の河村農場での研修期間中は「百姓見習いです」と胸を張って言えたのですが、いまは、定年退職した無職者そのものなので、「偽百姓です」と、口ごもりつつこたえるしかありません。

原発事故による放射能汚染の影響が未知数でもあり、自家菜園を耕してわずかな野菜を得るくらいのことしかできませんでした。
春までにもう少し広めの休耕地を近くに借りて耕す予定ですが、その先は未定です。百姓志願の夢が揺らぎつつあります。

ここで、原発事故を契機に反核・反原発に宗旨替えした私として、被災地に暮らしている者の実感から、言わずにはいられないエピソードの1つをお伝えします。

NPO法人のいわき放射能市民測定室が小名浜にあります。
無農薬・無化学肥料で親戚と私が育てた野菜を持ち込んだ測定結果を見ると、多くは検出限界以下か少し多い程度で、土壌から野菜への放射線物質(主にセシウム134・137)の移行が恐れていたほどでなかったのは不幸中の幸いでした。

しかし、柿と柚子から少し高めの数値が検出されましたし、しいたけは200Bq/kgと注意するに越したことのないレベルでした。
私が田人町に越してきた頃にはすでに、野菜の放射能汚染は心配していたほどのレベルではないことがわかっていました。
そんなこともあって、もらい物の野菜や、9月頃からは自分の野菜が収穫できるようになり、美味しく食べています。

庭にはしいたけとなめこの菌を植えたほだ木を先住者が残してくれていたので、秋には立派に育ったきのこを、測定する前から食べていました。
年齢が高いという気楽さもありましたし、何よりも目の前にある収穫物の誘惑には勝てませんでした。
部落の人たちが原発事故前までしていたのと同じように食材を入手し、調理しました。要するに、普通の生活をしてきたのです。

年末に放射能市民測定室でホールボディ・カウンターを測定したのも、安心するために受けたつもりだったのですが、結果は予想外。
13.1Bq/kg(セシウム137)という数値は、それまでに測定を受けた人たちのデータの4倍強の高さだったのです。
もっとも、内部被曝のかなり厳しい基準で注意すべきレベルの最小値が20Bq/kgですから、この値はそれこそ、事故発生当時に飽きるほど聞いたあの政府発表、「ただちに健康に影響はない」レベルかもしれません。
でも、「普通の生活」をしていたのではさらに増える恐れがあるのも事実です。
これにはがっかりしました。
検査の結果、水はシロと出たので、疑われるのは、調子に乗って飽食してしまった生しいたけなのですが、それだけでこの数値になるとも思えません。

さらに奇怪なのは、私のこの高い値を知らせた親戚夫婦が、年始早々に同じ検査を受けた結果でした。
彼らの家は私のところから百メートルも離れていません。
似たような食生活をしている二人の測定値は、3Bq/kgほどで、測定室でこれまで検査を受けた人たちとほぼ同じ値だったのです。
しかも、夫婦は私のような新参者ではなく、田人町の定住者で、原発事故直後の放射能汚染がもっとも酷かった時期も当地で暮らしていたのですから、謎は深まるばかりです。

これらのことから明らかになったのは、やはり原発事故は人々から普通の生活を奪ったのだという、当たり前の事実でした。

放射能汚染はホット・スポット現象にも見られるように神出鬼没。
さらに、自然や健康にもたらす影響は未知の部分のほうが大きく、しかも、誰でも、何処でも汚染を受ける恐れがある、とても性質の悪いものです。

そして、少なくとも東北から関東にかけて住んでいる人たちは色も臭いもなく、目にも見えないこの未知の被害に怯えながら、この先もずっと暮らしていかなければなりません。
これが、哲学者の内山節氏が「原発事故は人々から未来の時間を奪った」と指摘したことの一側面でした。

このような不完全極まりない技術を推進してきたうえに、「想定外」などと言い訳にもならないことばで、過ちを正当化するのみならず、原発への依存を断ち切ろうともしない為政者や似非科学者・技術者が未だはびこっている現実に無力感を禁じ得ません。

しかし、この間に見聞きした意気地のない報道などからマスコミを批判的に見る癖がついたのは勿怪の幸いでした。

そのオチとするにはことば足らずですが、傍観者でいたことがもたらした原発事故への己の責任を考えると、二度とその愚は犯したくないので、言ってしまいます。
私は経済のみならず社会・文化への損失が、得られる利益よりもはるかに大きいと考えているので、TPP(Trans-Pacific Partnership)には反対の立場です。僭越ですが皆様にもこの問題を考えていただきたいと願っています。
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2011,12,25女子会クリスマス 定番鳥丸焼き

2011/12/26 00:34
とりあえず動画
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最近のにゃんこ

2011/12/08 00:46
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上から、凛々、虹丸、まお

凛々は、口の中に扁平上皮がんが出来て、痩せちゃって寒いから、ワンピースを着せた。
こないだ、癌が増殖して、喉が詰まりそうになったので、一か八かで手術して癌を電気メスで焼いたら、そこそこがん細胞がこそげ落ちて、ご飯が食べられるようになった。

凛々は、311以降、毎日鼻血が出て、気がついたら癌が出来ていた。
放射能のせいじゃないかと思ってんだけどね。
猫は泥を引っかきまわして排泄するし。
東京に降った放射能はハンパじゃなかったし。
ほら、土を掘ってミミズを食べるイノシシの放射能汚染が各地で出てるでしょ
凛々は感受性が高い猫だし

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綺麗はたんすの上のこんなとこ(なんで、わざわざ)
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バッハ ロ短調ミサ曲 

2011/12/04 01:28
http://www2.tky.3web.ne.jp/~bach/chor/concert/pdf/20111203_concer106.pdf

まあ、クリスマスコンサートってわけだが
同期会に行った時、東京バッハ合唱団のサポーターやってるらしい人から「チケット買って」と言われてバッハは嫌いじゃないから行ってみた

杉並公会堂は立て直してえらく綺麗になったけど、音響はどうなんだか
音が拡散しちゃって、野原で聴いてるようだ
私の耳が悪いのか?

日本語演奏初演と謳っていたが、最初ラテン語なんだかイタリア語なんだかと思って聴いてたら、時々「主よ・・」とか聞こえるからニホン語で歌ってるんだと思い出した
こりゃ、合唱団の力量のせいかと思ったが、ソプラノやアルトの歌手が歌っても同じで、声が割れちゃう
気の毒だよねえ、せっかくの歌が

そうは言ってもバッハだから、バロックだから、短調だから
気分は悪くない
大きなあくびが出続けて途中で少し寝ちゃったくらい
あくびが出るのは身体が緩んで、邪気が出て行くからいいことなんだ

小さなオルガンとコントラバスがよかったな
コントラバスは、ずーっとお休みなしで引き続け 体力要るなあ
第二バイオリンの奏者がひとり、オーラがすんごくて、他のバイオリンから抜きん出ていた
かなりクセがありそうだから、好き嫌いがあるかも
独演会とかあれば一度聴いてみたい

演奏は「東京カンタータ室内管弦楽団」といって、一流オーケストラ、アンサンブル等の主要メンバーが、カンタータ連続演奏の企画に賛同して共演を志した演奏家グループとの事なのでさすがな感じ

指揮の大村恵美子氏が、「日本中にこのメロディーを広げましょう!」と
終曲の『平和をわれらに』Dona nobis pacemのとこをアンコールで、会場のお客さんと合唱団、オーケストラ付きでうたった。
(楽譜がプログラムにしっかり印刷されていた!)

「平和をわれらに」って、こればっかり、お経みたいに、ずーっとうたうのサ
キリスト教の宗教音楽って祈祷書の文句に曲つけたようなもんだから同じか・・

しかし、歴史のある時期からヨーロッパ中が、こういう文化で染まっちゃうんだから
しかも侵略の歴史と共に世界中に拡散してくんだから
キリスト教恐るべしだなあと思った



以下、別の合唱団の動画ですが,
こんな、メロディー


指揮者からのメッセージ(プログラムから)
 私達を叱咤激励するかのように、3月の東北大震災と原発事故が襲いかかり
わが国の存続を根底から揺るがしてきました。

 バッハが世に訴えかけた「地に平和を、神と人との和解を」のメッセージを、
これほど端的に、どぎつく突きつけられた演奏活動は、50年目にして初めての経験です。
ご一緒に立ち会ってくださる、同時代の、この会場内の皆様に、深い連帯をおぼえます。
 心から心へ!

初音ミクによるバッハロ短調ミサ曲の二番目に歌われるニケア信経(ラテン語)
初音ミクにくりびつだけど、今はなんでも出来るんだね




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官僚が画策する国家の分断

2011/10/19 01:04
政府は(もしかしたら官僚は)国民を、フクシマとその他に分断しているのかなと思った。
オキナワがアメリカに生贄として差し出されたように、フクシマは。

米屋のガラス戸に「当店で販売している米はすべて検査済みです」と張り紙がしてあった。
そこの店主に、原発の爆発後、友人が福岡まで避難した話をしたら「みんな馬鹿だよ。九州だって放射能汚染されてるんだぜ」だって。

部落差別は明治になって、官僚組織が一段と差別行動をとってからよけいに酷くなった印象だ。
そして、人は自分の下にもっと下の人がいることで、自分が優位に立っていると満足する。
最下層の人は、島国の日本では逃げ場がなく悲惨だった。

フクシマも同様に官僚が意図的に棄民政策を行い、国民をフクシマとそれ以外に分けているようだ。
フクシマをそれ以外の地域よりも低いレベルに置いて、国民全体を支配する構図なのだと思った。
フクシマから逃げられない人がいる。
その逃げられない人を官僚は繊細に巧妙に分断していく

部落差別と同じ構造を日本の官僚は作っているのだと思う。

フクシマ産の食物を食べて応援しようだの、除染して住民が戻れるようにしようだのは、ポーズであり形式にすぎないと思う。
そして、放射能の瓦礫や食物を日本中にばら撒いて日本を放射能で同質化しようとしている。
みんな、汚染されれば同質でしょうとばかりに。

『安岡(章太郎)―この暴力ってのは、ちょっと説明のしようがないけれど、同じ資本主義でもアメリカのそれとは違った意味で、ものすごいバイタリティーがあって、その収奪の仕方には強烈なものがあるんじゃないか。

そりゃ、どこの国でも支配者は暴力がありますよ。だけど、どうも日本のは非常に繊細かつ強力な暴力が働くような気がする。

そういう抽象的な言い方でしか言えないけれどね。
 だから、日本の法治のやり方は、少数者にとってはきついでしょうね。
そりゃ、アメリカにだってマイノリティー・グループはいっぱいあるわけで、もちろん、きついんだけど、日本の場合特別じゃないかな。
一種独特の芸の細かさと、それから梅雨時の大雨的な暴力の強さがありますよね。』(日本人を考えるー宮本常一、安岡章太郎、野間宏「逃げ場のない差別のひだ」から)

今もフクシマに人が住んでいるのが信じられない(グリーンピース)
強制移住も避難の権利も無く
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マーガレット20@目白日立倶楽部

2011/10/15 22:58
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閑静な邸宅街にある、この建物はスペイン風アールデコ
旧浅香邸(現東京都庭園美術館)、旧李王家邸(現赤坂プリンスホテル旧館)を設計した宮内省内匠寮の近藤要吉技師が設計。

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玄関

イギリスの名門イートン校の寮をモデルにし、運営は自由と自立を重んじ、寮生の中から運営委員を選んでいた。
喫煙、飲酒OK.内部にはバーカウンターも用意されているし、当時では珍しく全個室。
食堂での食事の際には給仕付きだったそう

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こんな感じ?

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グランドピアノやバーカウンターがある談話室

1928年(昭和3年)に造られたが、1937年(昭和12年)日中戦争勃発後、管理が厳しくなり1941年(昭和16年)に在寮生全員が退寮となって幕を閉じた。

1952年に日立が譲り受け福利厚生施設となった。

卒業生の木戸幸一内務大臣、近衛文麿貴族院議長、吉田茂特命全権大使なんかが訪れて寮生を激励したというから、エリート養成校だったわけだ。

閑話休題
宮本常一の『日本人を考える 歴史・民族・文化』を読んでいる
宮本常一は高校生の頃からとても好きだった
ムサビに進学したいなあと思っていたのも、彼がムサビの教授だったせいもある

で、この本はいろんな人との対談
フクシマの人々がなぜ危険な地域から離れられないのかと考えていた時に読み始めたので、とても示唆に富んでいる

日本の昔から農民はけっこう漂流しているのだ。
しかし、この話題は置いといて、と。

東京でエリートが贅沢な住まいで最先端の教育を受けている同じ時代に
土地を持たない流浪の人々が日本全国にけっこういたことを宮本が証言している
これは昭和の半ばになってもあったのだ

未開放部落というものは、屠殺に従事していた人達が住んでいたから差別されたのかと思っていたが、そうではないらしい

ありとあらゆる地域で、職業(墓守、神主の家系、漁業権を持たない漁民、竹細工を売る人達、木地屋、サル回し、万歳etc)や他所から移り住んできた人達、明治以前に税金を逃れる手段として河原に住んでいた人達、キツネつき、犬神その他もろもろの人たちが住む部落を差別してきたのだと知った。

芸人を河原乞食というのはここから来たんだろう
竹細工、箕(み)、蓑(みの)、篩(ふるい)、箒(ほうき)を作って売っていたのはサンカだけじゃあないらしい。

でも、宮本は何組かのサンカとも接触している
『奈良県の吉野の山中にそれが非常に多ござんして、川のほとりにそれこそ簡単な小屋を作る。
つまり、二本の棒を立てまして、それに横木を置いて、片そぎの屋根を葺いて、それで、雨風はしのげますからその下に住む。ナベ一つぐらい持って暮らしている。』

お風呂は、火を焚いてその中に石を沢山入れて焼いておく。
一方で地面を掘って、水を溜めそこに焼けたい石を入れて入っていたという。

移動時にナベ、カマを持たないときはどうするのか聞くと
『それだって、火さえあれば簡単だ。
味噌汁をこしらえるのには、木を曲げた輪っぱへ味噌と青ものを入れて、焼けた石をジュッと入れればいい』という。
それを食べた宮本は『うまかった。ちょっと煙臭くて』と話している。

昭和の時代にもそういう暮らしをしている人たちがニホンに居たんだなあ、
と、元学習院の寮に居て思った。

宮本はこんな風に言っている
『ですから、よそ者というのは、大変大事な問題を持っとった。
そのよそ者を自分らの村の中でどう位置づけるかということは、村落社会に住んでおる人たちにとっては、非常に大きな意味があった。

それをどう取り扱うかによって、自分らがその人たちに支配せられるか
その人たちを支配するかが決まるわけですから
村の住み方の中に、そういうものが一つ大きな存在としてあったのじゃないだろうか
〜中略〜
お互い口をつぐんで、ものを言いませんし、相手を傷つけるようなことはできるだけ言わないようにしておるが、何かがあったら、パッとそれが出てくる。

そういうことが、村落社会の中では非常に大きな比重を占めておったんじゃないだろうか。』

ふむふむ、なんか田舎に居るとこういう感じだ、分かる気がする
都会でも、村落共同体の名残は、特に会社組織などでは顕著だ

※マーガレット20は高校の同期会の名称
来年の幹事になってしまった。
会場探しはしないで、学校のホールでやって、食事はケータリングにすればいいや
ケータリングのお弁当は、「超!」手の込んだものになると思う。もう頼むとこは決めてる。





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今年の夢は・・・・悪夢に違いない

2011/10/12 21:06
この戦争は 終わりが見えない
だから希望がない

食べるものが無くなる などということを考えたことがあっただろうか
お金さえあれば 食べるに困らないとずっと思っていた

今も食べ物はある
いい色と匂いで食欲をそそる
毒が入っている食べものは 蠟細工と同じだ

食べたくて、食べたくて
食べるものは目の前に差し出されているのに
毒が入っているから食べることができない

これは 悪夢にちがいない
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夜の山でムササビと逢う

2011/10/10 00:06
「日本野鳥の会・東京」のムササビ観察会@高尾山・薬王院に行ってきた。

集合は15時に高尾山駅。20〜30名くらい来てた。
東京の人口比率からいったら、湖北野鳥センターの観察会のほうが参加者が多いと思った。
それと、大砲みたいな望遠レンズ付きカメラを持っている人が一人も居なかった。
双眼鏡持ってない人も多い。

家族的な雰囲気で、山中でムササビのねぐらになっている木を教えてもらったり植物観察などしながらブラブラと上へ。
9月の台風で大きな杉の木が何本も倒れて電柱をなぎ倒したり、土砂崩れがあったようだが、道は通れるように整備されていた。

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野鳥の会の世話人が数名いて、聞くといろいろ親切に説明してくれた。
なんと、高尾山はタカの渡りのポイントになっていて、空気が温まってくる10時頃には気流に乗ったタカ柱も見られるそうだ。
伊良湖とか猪子山ほどじゃあないかもしれないけど、観ようと思えば観られることが分かって、得した気分。

野鳥の会の人たちは、湖北野鳥センターのスタッフ同様に虫や植物のこともよく知っているようだった。
カワセミは赤土の崖に巣を作るのが普通だけど、最近は河川のコンクリート壁にある塩ビ管の中に巣を作るものも居るという(こないだ神田川で観たカワセミもそんなことしてるのかしら)

薬王院に着いたら大学生が4〜5人居て、ムササビの定期観察をしていた。
薬王院の2本の木の他に、本堂の屋根裏を住処にしていることも教えてくれた。
屋根裏のは、行けば必ず観ることができると言う

昆虫を捕る網を担いだ学生も5〜6人登ってきていた。蛾を捕るんだって。
ここで、生物を捕っていいのかなあ?国定公園じゃなかったっけ?
大きな白い蛾がペアで居た
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16:30頃のまだ明るいときに撮ったムササビの住処
こっちの巣穴から飛んだ
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もうひとつの巣
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ムササビは日暮れ時の微妙な時間に住処から出るというので、しばらく待つことに。
で、だんだん寒くなってきて、一枚また一枚と衣類を重ね着する。
ダウンじゃあ暑いかと思って持ってこなかったけど、ダウン着てもいいくらいに寒くなってきた。
ムササビは住処から出る前に、啼くと聞いたのでみんな耳を澄ますんだけど、ついに鳴き声は聞こえず。


さむいなあ、今夜はダメかしら、あの住処に必ず寝てるという保障はないし・・・
赤いセロファンを貼ったライトで時々照らす人がいるので、一緒に見てみるけど、巣穴の奥までは見えない。

と思っていると、見張っていたのとは反対側の木を見ていた人から声が上がった。
急いでそちらに行くと、「穴から出てきて上のほうに登って行った。木の裏側に行ってしまった」と言う。
しばらくライトで照らしていても、気配がない。
どうしたかなあ、とぼんやりしていたら、いきなり夜空に黒い四角の布巾が飛んで出た。
うわーい!やったー!
みんなちょっと熱くなって興奮状態
感動したなあ

鳥とは違うから、ゆっくり見れるかと予想していたけど、案外速い。
大きく飛んで、谷側の方に消えた。
私はそこをすぐに離れてしまったけれど、ずーっと観てた人によると、飛びついた木の上のほうに登ってまた飛んで、別の木に行ったという。
残念、諦めが早すぎた。
あとで、調べたら、そういう飛び方をして移動するとあった。

帰りの山道で、ムササビの声を聞いた。
なんだか、とても奇妙な叫び声だった。
野鳥の会の人が言うには、天敵のフクロウが側に来るとそんな声を出すのだと言う


20:30頃にふもとに下りたら、そこに実物大のムササビの像があった。
体長40cm、尻尾の長さ30cm。けっこう大きいのね
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飛んでる様子の像も(ピンボケだけど、飛んでる時はこんな感じ)
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参加費200円ぽっきりで、大いに楽しんだ。
しかも、あんな山登りを久しぶりにしたのに、身体も痛くないし、日ごろのいやーな疲れがかえって無くなってしまったのだ。
やっぱり、空気のいいところで森林浴したせいか?

でも、放射能は奥多摩方面で濃いし、森林の木の葉や土に落ちたままだから、高尾山も放射線量は高くなっていると予想する。
だれか、ガイガー持ってきているかなあと思ったけど、鳥見人というのは、そういうことに関心持ってる人は居ないみたいだった。

寒いとこで出現を待ちながら思ったのは、きっちり観察するには、やっぱりロボットカメラとかライヴカメラだよなあと。
耳をすませてドキドキしながら観るのとは別に。

10月3日に琵琶滝まで行かれた方のブログ
生々しい写真いっぱい
http://pochipress.blog20.fc2.com/blog-entry-350.html
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久しぶりのギエム

2011/10/07 21:01
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やっと日本公演が決まったギエムの『エオンナガタ』



NBSのホームページhttp://www.nbs.or.jp/stages/1111_eonnagata/index.html

発売日から3ヶ月も経ってからでんわ予約で取れたチケット
ぎゃー!一番前の席だ!(チケットの売れ行きが悪いのかなあ)
う〜、ギエムの息遣い聞けるかな?汗が飛んでくるかも。
キヨシのライヴとおんなじくらい興奮するなあ

以前のブログ
http://71816687.at.webry.info/200902/article_13.html

この技術があってこそ踊れる




シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン「聖なる怪物たち」
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