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『恐るべき子供達』

2012/01/19 01:05
という映画を観てきた。
アンファン・テリブルって言葉の元ってこの映画だったのね
前回観た『オルフェの遺言』のジャン・コクトー原作・脚本

おとろちいエーガだったー!
子供時代というのは、誰もが失いたくない甘美なものなのかな
近代化されてない社会でもそうなんだろうか

姉のエリザベトはまるで子供の弟ポールを失いたくないがためにとんだ嘘を・・・
1949年製作の映画だけど、テーマは古くなさそう
しっかし、中学生の役を立派な身体の男が半ズボン履いて演じるってのも・・・
ま、詩人の書いたお話だからねえ

こないだ観た『オルフェの遺言』も奇妙なゲージツ映画だったけど、テーマはえらく今日的だった
ゲージツ家って、すごいんだなあ

松岡正剛さんの「千夜千冊」読んでコクトーって、想像以上にトンデモな人だと知った
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0912.html


帰りに本屋に寄ったら、店長が「本取っときましたよー」って、ドストエフスキーの『白痴』第3巻を出してきた。
あんまり待ってたから、それまでの筋を忘れちゃっただよ
しかし、亀山郁夫センセーの待望の訳だから、これからしばらく寝る前の読み物に困ることは無いな
今月から、亀山訳の『地下生活者の手記』の連載が雑誌で始まって、毎月買うのもなあと思ったので、嬉しかった。

他に買った本は「今日の料理」冬野菜特集と「通販生活」也
今日の料理http://www.kyounoryouri.jp/happy_table/tsushin/2012/01/post_8.html
「通販生活」は見るだけ、高いから。買う時はネットか御徒町の多慶屋(たけや)で買う。
多慶屋 http://www.takeya.co.jp/



ATG映画パンフレット 「オルフェの遺言」 監督 ジャン・コクトー
アットワンダー

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いわきに移住した友達からの手紙

2012/01/09 00:06
いわき市田人町(たびとまち)より
新年のご挨拶を、申し上げます。

ココ

大きな地図で見る

昨年7月末より、下記の住所にある築百年の古民家を借りて田舎暮らしを始めました。
自給自足にはほど遠い状態ですが、庭と地続きに猫の額ほどの畑があり、そこで季節の野菜をこまごまとつくって楽しんでいます。

田人町は2千人足らずが阿武隈山系の山あいに暮らす小さな村。
部落には昔ながらの共同の行事や作業があり、そこに加わって初めて知ったのは、自分たちの生活は自分たちで守っていくというまっとうな暮らしぶりでした。

部落の各戸には近くの谷川から引いた水を貯水、ろ過・消毒して給水するのですが、谷川に溜まった土砂を除いて石積みで堰を設け取水源を確保、浄水場の管理・清掃はもとより、部落の鎮守様の鳥居が地震で壊れれば、御影石の基礎を鉄筋コンクリートで囲んで固めることも、共同作業で易々とこなしてしまいます。

部落の人たちは生活功者と知恵者の集まりでした。
サービスを買うのを当たり前にしてきた都会生活とは異なる時間の流れのなかで、改めて生活することの意味を考えさせられる異文化体験に魅せられた半年でした。

 一方、3月11日の東日本大震災とそれに続く東電福島第一原子力発電所が起こした未曾有の人災は小康を保っているとはいえ、未だ収束にはほど遠い状態。
それを承知で何故また震災後にわざわざいわき市に、と聞かれるのが常ですが、深い理由があるわけではありません。
震災前から移住を考えていたのがこの土地だったのです。
春には裏の仏具山で山菜摘み、秋にはきのこ狩りが楽しめ、海も近く新しい地魚が容易に手に入りました。
東北地方とはいえ、田人町のある浜通りは気候温暖、東京から常磐高速道を使えば2時間半で着いてしまう距離です。
娘の夫の実家がここにあり、ご両親とわれわれ夫婦は初対面から意気投合。何度か行き来しているうちに老後は田人で、と思い描いていたのでした。

しかし、この夢は震災ではかなくも消えかけていました。

震災直後には、原子炉破壊の影響が首都圏に及ぶ最悪の事態を考え、娘夫婦の住む高知県香美市の山奥に、家族、義母、猫二匹とともに避難したくらいですから、放射能被曝に無頓着だったというわけではありません。

4月11日、震災からちょうどひと月経った日に、田人町周辺を震源とするマグニチュード6の余震がいわき市を襲いました。
3月の震災では、目に見える損傷のなかった親戚の家も屋根瓦が落ち、家中に物が散乱する大きな被害に遭いました。
その修復を手伝いに行ったのが、里心をつけてしまったようです。

春のうららかな陽気のなかに、これまでとちっとも変わらない田人の里山の風景がありました。
日夜を問わず、日に4、5回は訪れる余震に最初は驚いたものの、それに慣れてくると、地鳴りと揺れで、震源地が近いか遠いかまでわかるようにもなりました。
そして、色も臭いもない放射能のことは、不思議なくらい気になりませんでした。
しかし、そのことは逆に、原発事故さえなければ、という思いを余計に募らせることにもなるのです。
罪づくりな話です。

東京に戻って間もなく、小さな2人の子どものいる若夫婦が郷里に帰るので、いま私が住んでいる古民家が空き家になるという知らせが入りました。
じつはこの家は震災前から、空いたら借りたいから知らせてくれるように頼んでいた物件で、躊躇したのは一瞬だけでした。
待望の空き家になった理由が放射能汚染だったのですから何とも皮肉な巡り合わせです。
とはいえ、未来のある若夫婦家族が去った後釜に、定年退職者の私が入るのは理に叶ってはいました。

田人に住むようになった経過の説明が長くなりました。
7月末の引越しから、ほぼ半年が経過。
この間、何をしたかですが、一番多くの時間を費やしたのが、借りている古民家の「住」の整備でした。
いくつかの家具を自作し、冬の寒さへの備えとして、むき出しの梁の間に屋根裏の暗がりがのぞいていた10畳大の土間に天井もつけました。
最後の仕上げは、外回りの廊下と居室を仕切る障子16枚分の張り替え。
これらの作業が一段落するのにほぼ3か月を要しました。
自給自足の範囲を「住」に広げる試みでしたが、古民家を借りたために頓挫してしまった、セルフビルドの家をつくるという遠大な目標に比べれば、ささやかにすぎたと言われてしまいそうです。

掃除・洗濯、日に三度の食事づくりは滞りなく遂行しました。
田舎なので外食する場所が限られているうえに、一番近いコンビニまで9キロという不便さもあり、自分で食べるものは自分で料理する生活がすっかり身につきました。
家事家政はまったく苦になりません。
しかし、そのように雑事をしているうちにあっという間に日は暮れます。
これに育児が加わったりもするのですから、主婦業は考えていたほど楽ではないことがいま頃になってようやくわかりました。ワーク(稼ぎがあって)も一日、シャドウ・ワーク(なくて)も一日――これが実感です。

自由がいかに不自由であるのかも痛感しました。
基本的には一人暮らしなので、一日24時間は全部自分の時間です。
「住」の改善作業に熱中していた間は、次に何をするかを考える必要などまったくなかったのですが、作業が一段落した10月頃から、自分は本当は何をしたいのかという自問が始まりました。

贅沢な悩みと言われればそれまでですが、初めて体験するアイデンティティ・クライシスでした。
もちろんまだ結論などでていません。冬の寒い間はこの問いを反芻しながら、春の訪れを待つことになりそうです。

この自問を招いたのが、退職後1年の助走期間中に学んだ「食」自給のための農の営みがどうなったのか、の顛末です。
小川町の河村農場での研修期間中は「百姓見習いです」と胸を張って言えたのですが、いまは、定年退職した無職者そのものなので、「偽百姓です」と、口ごもりつつこたえるしかありません。

原発事故による放射能汚染の影響が未知数でもあり、自家菜園を耕してわずかな野菜を得るくらいのことしかできませんでした。
春までにもう少し広めの休耕地を近くに借りて耕す予定ですが、その先は未定です。百姓志願の夢が揺らぎつつあります。

ここで、原発事故を契機に反核・反原発に宗旨替えした私として、被災地に暮らしている者の実感から、言わずにはいられないエピソードの1つをお伝えします。

NPO法人のいわき放射能市民測定室が小名浜にあります。
無農薬・無化学肥料で親戚と私が育てた野菜を持ち込んだ測定結果を見ると、多くは検出限界以下か少し多い程度で、土壌から野菜への放射線物質(主にセシウム134・137)の移行が恐れていたほどでなかったのは不幸中の幸いでした。

しかし、柿と柚子から少し高めの数値が検出されましたし、しいたけは200Bq/kgと注意するに越したことのないレベルでした。
私が田人町に越してきた頃にはすでに、野菜の放射能汚染は心配していたほどのレベルではないことがわかっていました。
そんなこともあって、もらい物の野菜や、9月頃からは自分の野菜が収穫できるようになり、美味しく食べています。

庭にはしいたけとなめこの菌を植えたほだ木を先住者が残してくれていたので、秋には立派に育ったきのこを、測定する前から食べていました。
年齢が高いという気楽さもありましたし、何よりも目の前にある収穫物の誘惑には勝てませんでした。
部落の人たちが原発事故前までしていたのと同じように食材を入手し、調理しました。要するに、普通の生活をしてきたのです。

年末に放射能市民測定室でホールボディ・カウンターを測定したのも、安心するために受けたつもりだったのですが、結果は予想外。
13.1Bq/kg(セシウム137)という数値は、それまでに測定を受けた人たちのデータの4倍強の高さだったのです。
もっとも、内部被曝のかなり厳しい基準で注意すべきレベルの最小値が20Bq/kgですから、この値はそれこそ、事故発生当時に飽きるほど聞いたあの政府発表、「ただちに健康に影響はない」レベルかもしれません。
でも、「普通の生活」をしていたのではさらに増える恐れがあるのも事実です。
これにはがっかりしました。
検査の結果、水はシロと出たので、疑われるのは、調子に乗って飽食してしまった生しいたけなのですが、それだけでこの数値になるとも思えません。

さらに奇怪なのは、私のこの高い値を知らせた親戚夫婦が、年始早々に同じ検査を受けた結果でした。
彼らの家は私のところから百メートルも離れていません。
似たような食生活をしている二人の測定値は、3Bq/kgほどで、測定室でこれまで検査を受けた人たちとほぼ同じ値だったのです。
しかも、夫婦は私のような新参者ではなく、田人町の定住者で、原発事故直後の放射能汚染がもっとも酷かった時期も当地で暮らしていたのですから、謎は深まるばかりです。

これらのことから明らかになったのは、やはり原発事故は人々から普通の生活を奪ったのだという、当たり前の事実でした。

放射能汚染はホット・スポット現象にも見られるように神出鬼没。
さらに、自然や健康にもたらす影響は未知の部分のほうが大きく、しかも、誰でも、何処でも汚染を受ける恐れがある、とても性質の悪いものです。

そして、少なくとも東北から関東にかけて住んでいる人たちは色も臭いもなく、目にも見えないこの未知の被害に怯えながら、この先もずっと暮らしていかなければなりません。
これが、哲学者の内山節氏が「原発事故は人々から未来の時間を奪った」と指摘したことの一側面でした。

このような不完全極まりない技術を推進してきたうえに、「想定外」などと言い訳にもならないことばで、過ちを正当化するのみならず、原発への依存を断ち切ろうともしない為政者や似非科学者・技術者が未だはびこっている現実に無力感を禁じ得ません。

しかし、この間に見聞きした意気地のない報道などからマスコミを批判的に見る癖がついたのは勿怪の幸いでした。

そのオチとするにはことば足らずですが、傍観者でいたことがもたらした原発事故への己の責任を考えると、二度とその愚は犯したくないので、言ってしまいます。
私は経済のみならず社会・文化への損失が、得られる利益よりもはるかに大きいと考えているので、TPP(Trans-Pacific Partnership)には反対の立場です。僭越ですが皆様にもこの問題を考えていただきたいと願っています。
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2011,12,25女子会クリスマス 定番鳥丸焼き

2011/12/26 00:34
とりあえず動画
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最近のにゃんこ

2011/12/08 00:46
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上から、凛々、虹丸、まお

凛々は、口の中に扁平上皮がんが出来て、痩せちゃって寒いから、ワンピースを着せた。
こないだ、癌が増殖して、喉が詰まりそうになったので、一か八かで手術して癌を電気メスで焼いたら、そこそこがん細胞がこそげ落ちて、ご飯が食べられるようになった。

凛々は、311以降、毎日鼻血が出て、気がついたら癌が出来ていた。
放射能のせいじゃないかと思ってんだけどね。
猫は泥を引っかきまわして排泄するし。
東京に降った放射能はハンパじゃなかったし。
ほら、土を掘ってミミズを食べるイノシシの放射能汚染が各地で出てるでしょ
凛々は感受性が高い猫だし

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綺麗はたんすの上のこんなとこ(なんで、わざわざ)
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バッハ ロ短調ミサ曲 

2011/12/04 01:28
http://www2.tky.3web.ne.jp/~bach/chor/concert/pdf/20111203_concer106.pdf

まあ、クリスマスコンサートってわけだが
同期会に行った時、東京バッハ合唱団のサポーターやってるらしい人から「チケット買って」と言われてバッハは嫌いじゃないから行ってみた

杉並公会堂は立て直してえらく綺麗になったけど、音響はどうなんだか
音が拡散しちゃって、野原で聴いてるようだ
私の耳が悪いのか?

日本語演奏初演と謳っていたが、最初ラテン語なんだかイタリア語なんだかと思って聴いてたら、時々「主よ・・」とか聞こえるからニホン語で歌ってるんだと思い出した
こりゃ、合唱団の力量のせいかと思ったが、ソプラノやアルトの歌手が歌っても同じで、声が割れちゃう
気の毒だよねえ、せっかくの歌が

そうは言ってもバッハだから、バロックだから、短調だから
気分は悪くない
大きなあくびが出続けて途中で少し寝ちゃったくらい
あくびが出るのは身体が緩んで、邪気が出て行くからいいことなんだ

小さなオルガンとコントラバスがよかったな
コントラバスは、ずーっとお休みなしで引き続け 体力要るなあ
第二バイオリンの奏者がひとり、オーラがすんごくて、他のバイオリンから抜きん出ていた
かなりクセがありそうだから、好き嫌いがあるかも
独演会とかあれば一度聴いてみたい

演奏は「東京カンタータ室内管弦楽団」といって、一流オーケストラ、アンサンブル等の主要メンバーが、カンタータ連続演奏の企画に賛同して共演を志した演奏家グループとの事なのでさすがな感じ

指揮の大村恵美子氏が、「日本中にこのメロディーを広げましょう!」と
終曲の『平和をわれらに』Dona nobis pacemのとこをアンコールで、会場のお客さんと合唱団、オーケストラ付きでうたった。
(楽譜がプログラムにしっかり印刷されていた!)

「平和をわれらに」って、こればっかり、お経みたいに、ずーっとうたうのサ
キリスト教の宗教音楽って祈祷書の文句に曲つけたようなもんだから同じか・・

しかし、歴史のある時期からヨーロッパ中が、こういう文化で染まっちゃうんだから
しかも侵略の歴史と共に世界中に拡散してくんだから
キリスト教恐るべしだなあと思った



以下、別の合唱団の動画ですが,
こんな、メロディー


指揮者からのメッセージ(プログラムから)
 私達を叱咤激励するかのように、3月の東北大震災と原発事故が襲いかかり
わが国の存続を根底から揺るがしてきました。

 バッハが世に訴えかけた「地に平和を、神と人との和解を」のメッセージを、
これほど端的に、どぎつく突きつけられた演奏活動は、50年目にして初めての経験です。
ご一緒に立ち会ってくださる、同時代の、この会場内の皆様に、深い連帯をおぼえます。
 心から心へ!

初音ミクによるバッハロ短調ミサ曲の二番目に歌われるニケア信経(ラテン語)
初音ミクにくりびつだけど、今はなんでも出来るんだね




Bach, Johann Sebastian バッハ / ミサ曲ロ短調(ペーテルス版) 樋口隆一&明治学院バッハ・アカデミー(2CD) 【CD】
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官僚が画策する国家の分断

2011/10/19 01:04
政府は(もしかしたら官僚は)国民を、フクシマとその他に分断しているのかなと思った。
オキナワがアメリカに生贄として差し出されたように、フクシマは。

米屋のガラス戸に「当店で販売している米はすべて検査済みです」と張り紙がしてあった。
そこの店主に、原発の爆発後、友人が福岡まで避難した話をしたら「みんな馬鹿だよ。九州だって放射能汚染されてるんだぜ」だって。

部落差別は明治になって、官僚組織が一段と差別行動をとってからよけいに酷くなった印象だ。
そして、人は自分の下にもっと下の人がいることで、自分が優位に立っていると満足する。
最下層の人は、島国の日本では逃げ場がなく悲惨だった。

フクシマも同様に官僚が意図的に棄民政策を行い、国民をフクシマとそれ以外に分けているようだ。
フクシマをそれ以外の地域よりも低いレベルに置いて、国民全体を支配する構図なのだと思った。
フクシマから逃げられない人がいる。
その逃げられない人を官僚は繊細に巧妙に分断していく

部落差別と同じ構造を日本の官僚は作っているのだと思う。

フクシマ産の食物を食べて応援しようだの、除染して住民が戻れるようにしようだのは、ポーズであり形式にすぎないと思う。
そして、放射能の瓦礫や食物を日本中にばら撒いて日本を放射能で同質化しようとしている。
みんな、汚染されれば同質でしょうとばかりに。

『安岡(章太郎)―この暴力ってのは、ちょっと説明のしようがないけれど、同じ資本主義でもアメリカのそれとは違った意味で、ものすごいバイタリティーがあって、その収奪の仕方には強烈なものがあるんじゃないか。

そりゃ、どこの国でも支配者は暴力がありますよ。だけど、どうも日本のは非常に繊細かつ強力な暴力が働くような気がする。

そういう抽象的な言い方でしか言えないけれどね。
 だから、日本の法治のやり方は、少数者にとってはきついでしょうね。
そりゃ、アメリカにだってマイノリティー・グループはいっぱいあるわけで、もちろん、きついんだけど、日本の場合特別じゃないかな。
一種独特の芸の細かさと、それから梅雨時の大雨的な暴力の強さがありますよね。』(日本人を考えるー宮本常一、安岡章太郎、野間宏「逃げ場のない差別のひだ」から)

今もフクシマに人が住んでいるのが信じられない(グリーンピース)
強制移住も避難の権利も無く
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マーガレット20@目白日立倶楽部

2011/10/15 22:58
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閑静な邸宅街にある、この建物はスペイン風アールデコ
旧浅香邸(現東京都庭園美術館)、旧李王家邸(現赤坂プリンスホテル旧館)を設計した宮内省内匠寮の近藤要吉技師が設計。

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玄関

イギリスの名門イートン校の寮をモデルにし、運営は自由と自立を重んじ、寮生の中から運営委員を選んでいた。
喫煙、飲酒OK.内部にはバーカウンターも用意されているし、当時では珍しく全個室。
食堂での食事の際には給仕付きだったそう

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こんな感じ?

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グランドピアノやバーカウンターがある談話室

1928年(昭和3年)に造られたが、1937年(昭和12年)日中戦争勃発後、管理が厳しくなり1941年(昭和16年)に在寮生全員が退寮となって幕を閉じた。

1952年に日立が譲り受け福利厚生施設となった。

卒業生の木戸幸一内務大臣、近衛文麿貴族院議長、吉田茂特命全権大使なんかが訪れて寮生を激励したというから、エリート養成校だったわけだ。

閑話休題
宮本常一の『日本人を考える 歴史・民族・文化』を読んでいる
宮本常一は高校生の頃からとても好きだった
ムサビに進学したいなあと思っていたのも、彼がムサビの教授だったせいもある

で、この本はいろんな人との対談
フクシマの人々がなぜ危険な地域から離れられないのかと考えていた時に読み始めたので、とても示唆に富んでいる

日本の昔から農民はけっこう漂流しているのだ。
しかし、この話題は置いといて、と。

東京でエリートが贅沢な住まいで最先端の教育を受けている同じ時代に
土地を持たない流浪の人々が日本全国にけっこういたことを宮本が証言している
これは昭和の半ばになってもあったのだ

未開放部落というものは、屠殺に従事していた人達が住んでいたから差別されたのかと思っていたが、そうではないらしい

ありとあらゆる地域で、職業(墓守、神主の家系、漁業権を持たない漁民、竹細工を売る人達、木地屋、サル回し、万歳etc)や他所から移り住んできた人達、明治以前に税金を逃れる手段として河原に住んでいた人達、キツネつき、犬神その他もろもろの人たちが住む部落を差別してきたのだと知った。

芸人を河原乞食というのはここから来たんだろう
竹細工、箕(み)、蓑(みの)、篩(ふるい)、箒(ほうき)を作って売っていたのはサンカだけじゃあないらしい。

でも、宮本は何組かのサンカとも接触している
『奈良県の吉野の山中にそれが非常に多ござんして、川のほとりにそれこそ簡単な小屋を作る。
つまり、二本の棒を立てまして、それに横木を置いて、片そぎの屋根を葺いて、それで、雨風はしのげますからその下に住む。ナベ一つぐらい持って暮らしている。』

お風呂は、火を焚いてその中に石を沢山入れて焼いておく。
一方で地面を掘って、水を溜めそこに焼けたい石を入れて入っていたという。

移動時にナベ、カマを持たないときはどうするのか聞くと
『それだって、火さえあれば簡単だ。
味噌汁をこしらえるのには、木を曲げた輪っぱへ味噌と青ものを入れて、焼けた石をジュッと入れればいい』という。
それを食べた宮本は『うまかった。ちょっと煙臭くて』と話している。

昭和の時代にもそういう暮らしをしている人たちがニホンに居たんだなあ、
と、元学習院の寮に居て思った。

宮本はこんな風に言っている
『ですから、よそ者というのは、大変大事な問題を持っとった。
そのよそ者を自分らの村の中でどう位置づけるかということは、村落社会に住んでおる人たちにとっては、非常に大きな意味があった。

それをどう取り扱うかによって、自分らがその人たちに支配せられるか
その人たちを支配するかが決まるわけですから
村の住み方の中に、そういうものが一つ大きな存在としてあったのじゃないだろうか
〜中略〜
お互い口をつぐんで、ものを言いませんし、相手を傷つけるようなことはできるだけ言わないようにしておるが、何かがあったら、パッとそれが出てくる。

そういうことが、村落社会の中では非常に大きな比重を占めておったんじゃないだろうか。』

ふむふむ、なんか田舎に居るとこういう感じだ、分かる気がする
都会でも、村落共同体の名残は、特に会社組織などでは顕著だ

※マーガレット20は高校の同期会の名称
来年の幹事になってしまった。
会場探しはしないで、学校のホールでやって、食事はケータリングにすればいいや
ケータリングのお弁当は、「超!」手の込んだものになると思う。もう頼むとこは決めてる。





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今年の夢は・・・・悪夢に違いない

2011/10/12 21:06
この戦争は 終わりが見えない
だから希望がない

食べるものが無くなる などということを考えたことがあっただろうか
お金さえあれば 食べるに困らないとずっと思っていた

今も食べ物はある
いい色と匂いで食欲をそそる
毒が入っている食べものは 蠟細工と同じだ

食べたくて、食べたくて
食べるものは目の前に差し出されているのに
毒が入っているから食べることができない

これは 悪夢にちがいない
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夜の山でムササビと逢う

2011/10/10 00:06
「日本野鳥の会・東京」のムササビ観察会@高尾山・薬王院に行ってきた。

集合は15時に高尾山駅。20〜30名くらい来てた。
東京の人口比率からいったら、湖北野鳥センターの観察会のほうが参加者が多いと思った。
それと、大砲みたいな望遠レンズ付きカメラを持っている人が一人も居なかった。
双眼鏡持ってない人も多い。

家族的な雰囲気で、山中でムササビのねぐらになっている木を教えてもらったり植物観察などしながらブラブラと上へ。
9月の台風で大きな杉の木が何本も倒れて電柱をなぎ倒したり、土砂崩れがあったようだが、道は通れるように整備されていた。

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野鳥の会の世話人が数名いて、聞くといろいろ親切に説明してくれた。
なんと、高尾山はタカの渡りのポイントになっていて、空気が温まってくる10時頃には気流に乗ったタカ柱も見られるそうだ。
伊良湖とか猪子山ほどじゃあないかもしれないけど、観ようと思えば観られることが分かって、得した気分。

野鳥の会の人たちは、湖北野鳥センターのスタッフ同様に虫や植物のこともよく知っているようだった。
カワセミは赤土の崖に巣を作るのが普通だけど、最近は河川のコンクリート壁にある塩ビ管の中に巣を作るものも居るという(こないだ神田川で観たカワセミもそんなことしてるのかしら)

薬王院に着いたら大学生が4〜5人居て、ムササビの定期観察をしていた。
薬王院の2本の木の他に、本堂の屋根裏を住処にしていることも教えてくれた。
屋根裏のは、行けば必ず観ることができると言う

昆虫を捕る網を担いだ学生も5〜6人登ってきていた。蛾を捕るんだって。
ここで、生物を捕っていいのかなあ?国定公園じゃなかったっけ?
大きな白い蛾がペアで居た
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16:30頃のまだ明るいときに撮ったムササビの住処
こっちの巣穴から飛んだ
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もうひとつの巣
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ムササビは日暮れ時の微妙な時間に住処から出るというので、しばらく待つことに。
で、だんだん寒くなってきて、一枚また一枚と衣類を重ね着する。
ダウンじゃあ暑いかと思って持ってこなかったけど、ダウン着てもいいくらいに寒くなってきた。
ムササビは住処から出る前に、啼くと聞いたのでみんな耳を澄ますんだけど、ついに鳴き声は聞こえず。


さむいなあ、今夜はダメかしら、あの住処に必ず寝てるという保障はないし・・・
赤いセロファンを貼ったライトで時々照らす人がいるので、一緒に見てみるけど、巣穴の奥までは見えない。

と思っていると、見張っていたのとは反対側の木を見ていた人から声が上がった。
急いでそちらに行くと、「穴から出てきて上のほうに登って行った。木の裏側に行ってしまった」と言う。
しばらくライトで照らしていても、気配がない。
どうしたかなあ、とぼんやりしていたら、いきなり夜空に黒い四角の布巾が飛んで出た。
うわーい!やったー!
みんなちょっと熱くなって興奮状態
感動したなあ

鳥とは違うから、ゆっくり見れるかと予想していたけど、案外速い。
大きく飛んで、谷側の方に消えた。
私はそこをすぐに離れてしまったけれど、ずーっと観てた人によると、飛びついた木の上のほうに登ってまた飛んで、別の木に行ったという。
残念、諦めが早すぎた。
あとで、調べたら、そういう飛び方をして移動するとあった。

帰りの山道で、ムササビの声を聞いた。
なんだか、とても奇妙な叫び声だった。
野鳥の会の人が言うには、天敵のフクロウが側に来るとそんな声を出すのだと言う


20:30頃にふもとに下りたら、そこに実物大のムササビの像があった。
体長40cm、尻尾の長さ30cm。けっこう大きいのね
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飛んでる様子の像も(ピンボケだけど、飛んでる時はこんな感じ)
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参加費200円ぽっきりで、大いに楽しんだ。
しかも、あんな山登りを久しぶりにしたのに、身体も痛くないし、日ごろのいやーな疲れがかえって無くなってしまったのだ。
やっぱり、空気のいいところで森林浴したせいか?

でも、放射能は奥多摩方面で濃いし、森林の木の葉や土に落ちたままだから、高尾山も放射線量は高くなっていると予想する。
だれか、ガイガー持ってきているかなあと思ったけど、鳥見人というのは、そういうことに関心持ってる人は居ないみたいだった。

寒いとこで出現を待ちながら思ったのは、きっちり観察するには、やっぱりロボットカメラとかライヴカメラだよなあと。
耳をすませてドキドキしながら観るのとは別に。

10月3日に琵琶滝まで行かれた方のブログ
生々しい写真いっぱい
http://pochipress.blog20.fc2.com/blog-entry-350.html
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久しぶりのギエム

2011/10/07 21:01
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やっと日本公演が決まったギエムの『エオンナガタ』



NBSのホームページhttp://www.nbs.or.jp/stages/1111_eonnagata/index.html

発売日から3ヶ月も経ってからでんわ予約で取れたチケット
ぎゃー!一番前の席だ!(チケットの売れ行きが悪いのかなあ)
う〜、ギエムの息遣い聞けるかな?汗が飛んでくるかも。
キヨシのライヴとおんなじくらい興奮するなあ

以前のブログ
http://71816687.at.webry.info/200902/article_13.html

この技術があってこそ踊れる




シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン「聖なる怪物たち」
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『kaneko 兼子』@下高井戸シネマ

2011/10/03 00:47
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日本歌曲をうたった声楽家というのに惹かれて観に行ってきた。

一番最初に「苗」という歌が流れてくる。
その意味が最後にもう一度、同じ曲が流れてきてやっと分かった。
種や苗を売る物売りの声だった。他に金魚屋の歌も。
この人が歌うとその情景が浮かんでくる。
しかーも、兼子は着物に帯び締めて足袋に草履姿なのだ。

ああ、この人がまっつぐに生きてこられたのは、着物のせいだとわたくしは思った。

兼子が言うには、西洋の歌曲は情を歌い、日本の歌曲は景色を歌っているのだとか。
なので、表現も西洋の声の出し方と、日本の歌とでは違うのだという
着物は胸元が開いて、後ろの襟元が開いているから、胸から首を抜けて頭の後ろに声が出ていくのだと言う。

んで、インタビューされた、(ドイツ人?)の声楽の先生が、帯締めて姿勢がすごく良くて、
着物着て体が真っ直ぐ、ハイヒール履かないで足袋はいて足の裏を地面にピッタリ付けて歌うから、あの歌い方(表現)が出るのだと言っていた。さもありなんだ。

最初の歌を聴いたときに、これは能の謡に似ている声の出し方だなあと思ったら、
兼子は幼少時に長唄を習いに行かされていたのだという。
オペラのアリアみたいに、大口を開けて歌うのではない、口は割りと普通の大きさで歌う感じ。

けれど、兼子はドイツに遊学して、向こうでリサイタルを開き絶賛されている。
80歳を過ぎても、コロラトゥーラが素敵なのだ。信じられないでしょう。

この映画の中では20曲歌っているが、若いときの音源が今は失われているものが殆どで、83とか4歳頃の収録のものばかりである。
しかし、衰えを感じさせない歌声が見事である。
92歳で没しているけれど、87歳まで後進を指導している。
当時の映像を見ると、本当にエネルギッシュでかくしゃくとしていてびっくりである。

兼子の歌う「荒城の月」が流れる場面に映し出されるのが「光化門」
荒城の月に歌われるのは、廃墟となった日本の城だと思っていたけれど
この場面に「光化門」がピッタリなのだ。
朝鮮人の文化が破壊され消滅してしまうという哀しみとイメージが重なるのだ

柳宗悦と兼子は、朝鮮民族とその文化と誇りを消してはいけないとして、「光化門」移築を働きかけた。

※朝鮮民族美術館設立 1924年京城(現ソウル)
宗悦たちが朝鮮民族美術館を設立する目的は、単に朝鮮時代の民衆的工芸品を蒐集し展示することではなかった。 
 設立趣意書の中では、このように述べている「私は之が消えようとする民族芸術の、消えない持続と新たな復活との動因になることを希う」
 兼子は柳宗悦とともに朝鮮独立を公言し、朝鮮支配を批判していたため、私服刑事に見張られ、特高にも監視されたこともあった。

※「光化門」移築 1927年
柳宗悦は、朝鮮総督府が朝鮮王朝の王宮の正殿前に庁舎を建設するため、王宮の正門である「光化門」を取り壊す計画に反対抗議する評論『失はれんとする一朝鮮建築のために』を、雑誌『改造』に寄稿。
この記事の影響もあり、光化門は破壊を免れ、1927年に移築された。

柳宗悦らが日本民藝館を設立したのは1936年である
収蔵品の買い付けには兼子がリサイタルを開いて得たお金がかなり使われている。

息子さんがインタビューで披露したエピソードにこんなものが。
自宅で佃煮などを入れていた容器が、ある日無くなったと思ったら、民芸館で展示されていた。
展示が終わるとまた、その入れ物は自宅の食器棚に戻ってきていたと。
兼子は料理も裁縫も上手で三人の子育てもし、歌もうたい学生にも教えというスーパーレディーだった様子。

お弟子さんの一人が生前の兼子の言葉を紹介していた。
『年をとるとそれまで見えなかったものが見えてくるようになる』



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2011/09/27 00:45
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この事件、朝霞駐屯地自衛官殺人事件をリアルタイムで見知っていた。
当時はこのジャーナルの記者のあまりのおバカ加減に呆れていた。
だから、その後川本三郎の映画評論も読む気がなく過ぎた
なんで、あんなおろかな奴が映画評論家を生業としているのかと思っていた。

赤衛軍なんて、どう見ても胡散臭いもの。しかし、渦中に飛び込みたい、スクープもとりたいという欲望が沢田にあったから、梅山に乗せられてしまった。

 しかし、今回この映画を見といてよかったなあと思った
あの時代の優しく正直で、ひ弱な青年の心持がとてもよく伝わってきた。

安田講堂の中の壁に書かれたスローガンの字体も、日比谷野音の場面も全共闘のヘルメット姿もまるで再現ドラマの映像みたいに薄っぺらだった。
あの時代の血と汗と埃の匂いが全然しないのだ。

だから、とてもはっきりと見えたことがある。
 赤衛軍の菊井良治は、あれが原作どおりなら(原作を読んでいないけど)ボーダーライン(境界性人格)だと思う。

 以前、大阪の教育大付属池田小で子供たちを殺戮した宅間守も同様ボーダーラインだったと思っている。
ボーダーの人は、残酷、冷徹な面がある一方で、変に魅力ある部分を持っていたりもするのだ。
宅間は4回の結婚暦があり、そのうち最後は獄中結婚をしている。
あんなに残虐なことをする男のどこに女が惹かれるのかと考えられるだろうが、そういうことなのだ。

で、沢田が梅山に惹かれてしまったのもそんなところかなと思う。
沢田の自宅に来て、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜が好き」だとか、ギターを抱えてCCRの曲を歌ったりされて、コロッと騙される沢田。
ボーダーの人は動物的な鼻を持っていて、相手の気持ちを捉える話題を実にうまく使うことが多々ある。 
優しくて正直、安全地帯で傍観者でいることに後ろめたさを持っている沢田は、梅山の格好のカモだ。

 朝日ジャーナルに連載されていた「桜画報」(アカイアカイアサヒハアカイ)のパロディーはこの映画の中でサイコーに面白かったなあ。

あがた森魚がジャーナルのおじさん記者を演じているんだけど、あまりにおじさんぶりがつぼに嵌っているので、最初は誰だか分からなかった。

京大の滝田修がこの事件の黒幕として指名手配されて10年間も逃亡していたなんて忘れていたが、なんてつまらないことだったのかと思った。
も、みんな菊井に騙され、警視庁はそれをうまく利用していたんだなあ。
現実の裁判も、被告が罪のなすりあいをして、酷いものだったらしい。

川本三郎さんは、うちの近所に住んでいて、時々見かけるんだけど、妻夫木聡とは全然印象が違う。
いつもいつも、顔色が悪くて暗い表情で、どっか身体の具合が悪いんじゃないかと思っていた。
あとで、何かで読んだらどうも、癌に侵された奥さんがいた頃のようだ。
近所で野良猫に餌槍をしていると何かで読んだ。
で、ちょっと、親近感を持ったんだけどね。

去年、商店街を若い男女(編集者?)と笑いながら歩いていたのを見て「この人も笑うことがあるんだー」などと思った。
奥さんが亡くなって数年経ったから回復してきたのかな。
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ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕) 拡散希望!!

2011/08/31 15:40
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2011.8.28の神田川の生き物

2011/08/30 23:22
定位置で獲物を狙うコサギ


岸の上からパンを撒くオジサンが居るから、右往左往して忙しいコサギ


こちらも上から落ちてくるパンを拾うのに忙しいカルガモ親子
5羽居たはずなのに2羽に減っている


上の親子が居る近くにあった、鳥の死骸らしきもの。黄色い足らしきものが二本見えていた
餌を撒くのがいいんだか悪いんだか
カラスも寄ってくるだろし
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アゲハチョウが何かを吸って(?)いる
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7羽、いつも一緒に居る


頭の両脇に赤い模様。アカミミガメっていうのかな?
何時間でもここに居る。
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ウイークエンド

2011/08/20 13:19






ひとつめのヴィデオのモーツアルトは、私には耐え難い音だった。
だけど、何回も聴くうちにこれは、今の時代に聴くには一番あってるんじゃないのかと思ってしまったりする

ウイークエンドを観てから大分経ってしまったけれど
これまでに観た3本の頂点という印象
で、映画も解体しましょうーみたいな感じになってしまうのです
筋なんかどうでもよくって、ひたすらコラージュと皮肉と、アジテーションだったりする。

車の事故の数がこれまでの映画より桁違いに多くて
戦争で人が死ぬみたいに道端に事故車が重なり、血だらけの死体がそこらじゅうに転がってるわけ

で、銃で殺したりもすぐするし、人肉を食べちゃったりもする

えー、で例のごとくいろんな歴史上の人物やら、リアルタイムな人物やらが自らの思想を語る場面やたら多し
サンジュストにエミリー・ブロンテ、アラブの兄弟にアフリカの兄弟、労働者とブルジョワ、ヒッピーに怪しい解放戦線、等々

で、山田氏の解説にあるように、以下のような小話が満載で笑っちゃう場面あちこちにあり。
『ヒッチハイクのシーンでは、「これは映画か、現実か?」と問われて、「もちろん、映画だ」と答えると、「この大ボラ吹きめ!」とののしられて、乗せてもらえないというギャグがある。
「マオとジョンソンではどっちと寝たいか?」と問われて、「ジョンソンにきまってる」などと答えようものなら、「このファシストめ!」とののしられ、もちろん乗せてもらえない。』

ミレイユ・ダルクはゴダールとは二度と仕事したくないと言ったそうだけど、結構この映画ではがんばってるじゃんと思った

「ウイークエンド」についての詳しい解説はここ
http://cgrandprix.blog42.fc2.com/blog-entry-384.html

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ざくろのジャムからの続き

2011/08/07 18:18
新聞に山下達郎の記事が出ていた。
彼は、アーティストという言葉が嫌いだそう。
私も、なんで猫も杓子も自称アーチストなんだろうと違和感があった。

山下は『知識人とか文化人といった、上から目線の「私たちは君たちとは違う」(←共産党ってこれだよね)と言わんばかりの呼称もまったく受け入れられない。〜中略〜市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です』と言っている。

また『指物師が尺も何もなにも使わずに目分量で切って、ビシッと寸分違わず枠をはめるとか、グラインダーの研磨の火花でアンチモンが何%入っていると分かるとか、本物の職人を見ると心底感動します。
きっと、そういう職人たちは有名になることにはこだわりがないでしょう。
人の役に立つ技術を自分の能力の限り追い求めているだけ。
それが仕事をする人間の本来の姿だと思います』と。

んで、冒頭の神奈川県の食品技術者の小清水さんもそういう人だろうなあと思った、のです。(←小出先生の言い方のマネ)
 小出裕章さんとか児玉龍彦さんなんかもそういう人だと思う。

看護職は職人稼業だと思うけど、私は修行に飽きちゃうほうなので優秀な職人ではない。
命かけてこの仕事をしたいって思わないもの。
なんでかねえ。心が動かない。
って、そんだけ切羽詰まってないからかも。

こまったな、訪問看護師が親を看取った経験を書いてくれとある雑誌から原稿依頼が来てるんだけど、まだ中身見てない。
構想がまだまとまんない。っていいわけなんだけど。
原稿料入るからがんばろっと。なんちゃって。
動機付けにお金って大きいよね。
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ざくろのジャムから

2011/08/07 17:40
隣家のざくろがそろそろ実ってきた。
去年食べたら甘くて美味しかったので、今年はジャムを作ってみようかなと。
なんで、ジャムかと言うとペクチンがどうやら放射性物質による内部被爆に効果があると何かで見たから。
しかしね、ペクチンの作り方は意外と手間隙かかるようだ。

図書館で借りた本。『食品加工シリーズ8 ジャム ジャム25種・ペクチンの手づくりから販売まで』(農文協)
著者の小清水正美さんは1949年神奈川県生まれ・神奈川県・環境農政部農業振興課農業専門技術担当として農産物利用及び食品加工を専門とされています。
おそらく昨年に定年退職されておられるでしょう。

前振りが長くなったのは、「はじめに」を読んでオオッ!と思ったからです。
小清水さんは、いまさらジャムについて本を書く必要があるのかと思ったけれど、巷で売られているジャムや、本、雑誌に載っているジャムの作り方などは昔から作られていたジャムとちょっと違うのではないかと思い、
『農家や主婦が小さな生業としてジャム作りに取り組まれるのでしたら、ジャムは果物と砂糖で作る、ペクチン、糖、酸のバランスがよければゼリー化するという原点に戻り、〜中略〜伝統技術とは、伝承されてきた技術にその時代の新しい技術や情報を盛り込んで次の時代へ継承する技術なのです』と。

『神奈川県でも50年前に戦後の疲弊した農村を活性化するため、農村工業の振興を目的として農産加工振興所が設置され農産加工研究と指導を行いました。
当時、すでに大規模生産のための機械、装置は開発されていましたが、農村にはそのための施設、装置がありません。
現場、農家での指導は大鍋一つを持っていき、かまどづくりからはじめ、地元の原料を使って、加工指導をしたそうです。
 ここで行った実習はまさに、それまでの手づくりジャムの伝統技術で良好な製品が作れることの実証といえます。

 小さな生業としての食べ物づくり、ジャムづくりでは、時代の先端を走る人々が巻き起こす後塵が収まったのをみきわめて、見通しのきくそのあとを行くようなことでよいのではないかと思います』
『本書は、小さな生業としてジャムづくりを行いたいという農家や主婦の方々に参考にしてほしいとの願いで、ジャムづくりの原点と基本的な考え方をまとめました』とある。

 中をパラパラ拾い読みすると、「ジャム加工の魅力と起業の心がまえ」という章が興味深かった。
「形が悪い果実も小さい果実もみんな生かせる」では『一生懸命育ててきた果実でも、消費者に届けるには、ちょっと形がわるかったり、大きすぎたり、小さすぎたりして、そのままでは商品にならないものは必ず出てきます。〜中略〜形がわるくても味がよいなど、とりえはあるものです。これらは一芸名人の果実といえないでしょうか。一つのとりえしかない果実であってもそれを生かすことができれば、生産者として苦労したことが無駄になりません』
などなど、生産者の気持ちに沿った丁寧な指導が記述されています。

 えっと、羅須地人協会を設立し、農業指導に走り回った宮沢賢治とか全国各地をフィールドワークして農民達に「ためになる話」をし、村おこし(ex佐渡の村おこしなど)の手助けをした宮本常一なんかを思い起こさせた。

あと、どうしてこんなことに興味を持ったかというと、私が大好きな野瀬町がどうしたら沈没しないで村の存続ができるかなあとずーっと考えていたためもあるからです。
24時間365日うつくしい村、野瀬は高齢化した過疎地の限界集落だからです。
失われつつある伝統的な料理、ビロード織りや浜ちりめん、炭焼き、石垣つくりなどの丁寧な仕事、美味しい野菜や米、鳥や魚がいるきれいな川、それらの文化の象徴するような古民家etc

 田舎はよそ者をなかなか受け入れない難しさはあるけれど、そこで暮らしている人たちを見て「まじめに生きていたら、こんな風にそこそこ幸せな生活ができるんだ」と感じたから。
都会の気質と違うもの、『逝きし世の面影』(渡辺京二著)で描写されているような江戸から明治にかけて日本を訪れた外国人が見た良き日本人の姿のかけらをが感じたし。(つづく)
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今日の神田川2011.7.23

2011/07/23 16:33


カルガモの大きいカップル。
下流の方に小ぶりのカップルも居た。
カラスに食べられなかった生き残りかな?



シジュウカラかなあと思ったけど、尾羽が長いからエナガだろうか?
石垣の中によっぽど美味しいものがあるらしい
いつも、こうやって夢中で突いている

ビヘ!!!


白いヘビって初めて見た。すごく早く泳ぐ。
カルガモには敵が多いなあ

他に見たのは、ムクドリ、コサギ、カラス、ハト、スズメ、トンボ
それから、今年になって初めてセミが鳴くのを聞いた
ミーン、ミーン

鯉がいよいよ大きくなって、川にあふれるくらい居るポイントがいくつかある
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映画「気狂いピエロ」

2011/07/17 02:54
これも「勝手にしやがれ」同様、男は最後に女に裏切られる。
ゴダールって女からよほど深く傷つけられたんだろうか。
もっとも、彼は今回女を撃ち殺し、自分はダイナマイトを巻きつけて自爆する。
そいでもって今回は男がロマンチストでやたら夢想し、っていうか理想を求めてる。女は現実的で生な感じ。

ゴダールっていう人は、早熟で人生をとてもよく知ってたのかもしれないと思った。
なので、絶望的で孤独で、不幸で深い悲しみに満ちているのかもしれない。
女はそんなことにかまっちゃいらんないんだよね。

時はベトナム戦争(1960年 - 1975年)のころ(この映画の製作は1965年)で、フランスはアルジェリア戦争(1954年から1962年)が終わってまだ間もなく、インドシナ戦争(1946年 - 1954年)の記憶もまだ薄れてはいない。

そういう、すねに傷持つフランス人の一人なんだね。ピエロは。
「ヴェトナムを遠く離れて」を、また観てみたいなあと思った。
いろんな映画監督がヴェトナム戦争をテーマに撮った映画で、ゴダールはひたすらカメラを覗きながら喋るだけ。
あの時、何を言っていたのか、もう一度聞いてみたい。

「気狂いピエロ」を初めて観たのは17歳くらいの時だったと思う。
いろんな、詩や文章の引用がやたら多くて、それを字幕で読みながら画面を見ることになるから、とても緊張をしいられ、なんだかあまりよく味わえず、疲れた覚えが。
この年になると、余裕で観られるのね。なんでか。
しかし、2時間が長かった。

「勝手にしやがれ」も「気狂いピエロ」もロードムーヴィー
次々と盗んだ車を乗り継いで、犯罪を重ねるところは「俺たちに明日はない」(1967年)とも似ている。そういえば「イージー・ライダー」(1969年)もロードムーヴィーだね。
どれもこれも明日が見えない映画だ。

追い詰められて車を転がしてる途中で自損事故の車を見つけ、自分たちの乗っていた車が事故にあったように見せかけ、車を燃やして田舎に逃げる。
そこで晴耕雨読みたいな生活をする。
その生活ん中でこぎつねを飼ってるんだけど、そいつが腹を空かせていてテーブルの上の皿をカリカリ必死になって引っかくのがおかしかった。

田舎に行って大地を相手の生活。
あ、なんか定番と思ってみていたら、女は単調な変化のない生活に満足できなくなって、『私はなんの役に立つの?』「私は何をすればいいの?」ってずーっといい続け、またやばい日々に戻ってしまう。
ピエロもついていくしかない。

アンナ・カリーナは可愛いところもあるんだけど、地が出てるみたいなところもある。
つまり、シナリオがなく全編、即興演出で撮ってるせいかもしれない。

映画を観てて、人間社会は昔も今もあんまり変わっていないんだなあとも思った。
この続きが「ウイーク・エンド」か。
予告編

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今日のアオサギ

2011/07/16 15:56
本日も神田川沿いをチャリで行く

画面が光って見えないから殆ど勘で撮ってる
カルガモ5羽確認
このくらいの浅瀬がいいのかね
この辺はアオサギやコサギも居る


アオサギ2羽確認
このこは日陰で休んでる


コサギ
あくびなんかしてる
こいつは臆病だね。ちょっと物音がしてもソワソワして飛び立ってしまう
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