フクシマの人は何故怒らないのか

素朴な疑問なんだが
フクシマの人は怒り方を知らないのかな
フクシマは気候、風土が穏やかで県民性がおっとりしているのだろうか
悲しみに心折れ、我慢し、諦めているのだろうか
日がたてば経つほど忘れられてしまい、差別の水脈だけが目に見えない形で残っていくだろうと思う。

福一事故直後の3月18日に東電を皮切りに、丸の内署に街頭演説の許可を貰いに行き、官邸に直接行動した吉沢さんや、
去年5月に、文科省に直接交渉をしていた佐藤さん達の他に目立った直接行動をした人達を知らない。
経産省前テントに泊り込んだのも最初はフクシマ以外の人だし。

到底満足のいかない補償金や見舞金をあてにして、農作物を作るようなプライドが傷つくようなことをしたり、被曝した牛や豚の、殺処分を強いられたり

牛や豚は彼等から見たら、放射性瓦礫と同じで目障りだから殺すのだ
無かったことにしたいのだ
豚は飼い主の敷地で殺され、その敷地に埋めなければならない
死体が累々と並んでいる写真を観たが、それは(自主?)規制されてマスコミに載る事は無い
津波で亡くなった方々の遺体写真が日本のマスコミに載らなかったのと同様
事実を隠蔽するのだ
しかし、過酷な事実と向き合わねばばならなかった農家の方々は、よくも気が狂わずに居られたと思う

手に乗るような子豚まで殺すことにどういう意味があるか
日本政府はフクシマの子供や妊婦も同じように見ているのだとしか思えない
殺すわけではないが、見捨てている
つまり、棄民。

補償金なんて、貰うんじゃなくて奪わなければ騙されるだけと思う
仲介者なんかあてにしてはいけないと思う
何らかの利権と繋がっているかもしれないんだから

当事者がどうしておとなしいのかさっぱり分からないが
こういうことかもしれない
  ↓

安岡章太郎が言っていた
『そりゃ、どこの国でも支配者は暴力がありますよ。だけど、どうも日本のは非常に繊細かつ強力な暴力が働くような気がする。

そういう抽象的な言い方でしか言えないけれどね。
 だから、日本の法治のやり方は、少数者にとってはきついでしょうね。
そりゃ、アメリカにだってマイノリティー・グループはいっぱいあるわけで、もちろん、きついんだけど、日本の場合特別じゃないかな。
一種独特の芸の細かさと、それから梅雨時の大雨的な暴力の強さがありますよね。』(日本人を考えるー宮本常一、安岡章太郎、野間宏「逃げ場のない差別のひだ」から)』

拙ブログ「官僚が画策する国家の分断」から
http://71816687.at.webry.info/201110/article_6.html

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